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(3)紙一重 「救助は三日以内」痛感
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 四十六万世帯が全半壊した。生き埋めになった被災者の生死は、紙一重だった。

 坂尾小夜子さん(73)=神戸市長田区久保町=の体は、何度も宙に浮き、地面にたたきつけられた。気が付けば、顔の前にふすまがかぶさっている。足が何かに挟まれて動けなかった。

 同じ部屋に寝ていた姉の名を呼んだ。暗闇の向こうから「大丈夫」と、か細い声。小夜子さんは、大声で屋外に助けを求めた。

 時とともに、姉の声は力を失った。小夜子さんが近所の住民に救出されたのは数時間後。「もう(姉の)声はしていなかった」

 そのころ、兄の三木精市さん(90)=同市須磨区大田町=も、がれきの下で助けを待っていた。頭を打ったのか、ずっとぼんやりしていた。

 誰にも気付かれないまま一夜が過ぎ、翌日午後、レスキュー隊に抱え上げられた。「太陽がまぶしかった」のを覚えている。妻は三時間前に遺体で見つかった、とあとで聞いた。

 山口大学理工学研究科の村上ひとみ助教授(建築防災学)は、今年八月にカナダで開かれる「世界地震工学会議」の論文を書き上げた。震度7を記録した神戸市東灘区の住民アンケートをもとに、生き埋めの実態を探ったものだ。

 回答は千百四十五人。家にいた人の一割が、何かの下敷きになり動けなかった。体は自由でも、家具の転倒などで行動がほぼ不可能だった住民も三割いた。震災直後、津名郡北淡町で行われた別のアンケートでは、いずれも一割だった。「都会の住宅の狭さや物の多さが影響したのかも」

 二階建ての家では、一階にいる方が、けがや閉じ込めの危険性が高いとの結果も出た。

 一方、救助活動に加わった住民は32%。同区では消防隊員一人当たりの住民が約千四百人で「同時多発型の災害では、住民の力に頼るしかない」

 がれきの下では、体力などが弱い者から命を落とす。

 「救助はスピードがすべて。三日たてば生存者はいないと考えるべき」

 あの震災で、神戸市消防局の野辺三郎消防監(55)は痛感したという。

 同市消防局は一月十七日、四百八十六人を救出した。だが、生存者はだんだんがれきの奥の方にしかいなくなる。救助は難航した。二十日に見つかった生存者はわずか十四人だった。

 救出した最後の生存者は-。「二十六日に一人」との公式記録がある。

 どんな人が、どんな状況で見つかったか。同市消防局に問い合わせたが、記録はなかった。報道もされていない。

 「けがはなく、布団にくるまっていたため寒さにも耐えられた」

 ある消防隊員は、当時の状況を走り書きしたメモを見た記憶がある。今となっては、こうした資料も散逸している。

2004/4/22
 

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