あらゆる事象は、その発生の瞬間に歴史となる宿命をもつ。戦後初の銀行倒産である兵庫銀行の破たん、みどり銀行開業、阪神銀行との合併でみなと銀行へ。阪神・淡路大震災後の神戸から起きた金融危機が、日本を震わせた金融動乱につながり、いまなお緊張は続く。すべてが前例のない枠組みで進み、当事者たちは懸命に動いた。八回にわたって、その軌跡を現代史に位置づけてきた。激動を超えて今、それぞれは何を思うのか。連載第一部の終わりに胸の内を聞いた。(※カッコ内は当時の肩書)
▼10兆円規模の本店銀行に
貝原俊民・阪神・淡路大震災記念協会理事長(兵庫県知事)
メガバンクの三井住友銀行の子会社として、みなと銀行がリテール中心の地域金融機関として機能するのが理想的な姿だ。いまのところいい方向に進みつつあるが、関西経済の一角を担う兵庫経済の規模を考えれば、神戸には少なくとも十兆円規模の本店銀行があってしかるべきだ。かつての神戸銀行のようになるには、三井住友銀の支店譲渡などでさらに実力をつけ、みなと銀を地域経済の中核に育てていかなければならない。
▼健全な発展祈りたい
牧冬彦・神戸商工会議所名誉会頭(同会頭)
大震災、深刻な不況、金融不安…。激動の中、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て生まれたのがみなと銀行だ。その創業期をしっかりけん引したのがみなと銀前頭取の矢野恵一朗さんだった。彼が頭取を退任するとき、私も、みどり銀、みなと銀と続けてきた監査役から降ろさせていただいた。思えば、被災地で兵庫銀行をつぶすわけにいかん、受け皿を立ちあげようと会議所会頭として出資を募った。それだけに、健全な発展を切に祈りたい。
▼行員の大量退職が心残り
米田准三・神戸商工会議所名誉議員(みどり銀行頭取)
みどり銀行の頭取は、神戸一中の先輩で日銀総裁だった松下康雄さんの要請で引き受けた。震災で混乱し、金融行政も転換期で、前例のないことばかりだったが、神戸経済界の支援を得て、県民銀行づくりの一翼を担えたことは幸せだった。ただ、みどり銀の最後に、八百五十人もの希望退職を募らざるをえなかったことが残念でならない。さくら銀行が三井住友銀行になり、その傘下にみなと銀行がある。この方向は正しい。
▼かつての神戸銀復活を
西村吉正・早稲田大教授(大蔵省銀行局長)
差し迫っているのに対策がない。当時の兵庫銀行の処理は法的な制約が多かった。かなり無理をしたが、北海道拓殖銀行が無くなった北海道経済のその後の混乱を考えると、破たんさせたままにしなくてよかった。地域経済の中心にあり、地元が一体感を持てる金融機関は必要だ。今後、三井住友銀行が兵庫県部分を切り離し「神戸銀行」という名前でみなと銀行と一つにするのかどうか。神戸の独特の雰囲気を取り戻すためにも、地域経済に元気がほしい。
▼情報や人材に固有の強み
吉田正輝・金融財政事情研究会理事長(兵庫銀行頭取)
銀行を残すことに全身全霊をかけた。いろいろあり、忘れたいけど忘れることなどできない日々。神戸経済が回復し、みなと銀行がさらに発展することで、私の心の重荷は軽くなると思う。今も厳しい情勢だが、地域金融機関にはメガバンクではカバーできない情報や人脈などの大切な領域がある。だからみなと銀はメガと住み分け、固有の能力を発揮することが大切だ。神戸の復興、発展は、日本のためにも望まれる。
▼資金の流れ取り戻せ (加藤正文)=おわり=
遠藤勝裕・日本証券代行社長(日本銀行神戸支店長)
震災復興のポイントとして、神戸は日本経済の構造改革を先取りし、新しい仕組みづくりを通じて経済を再生させるべきだと主張してきた。地域金融機関はその支えとしての位置づけだった。だが、被災地のその後は、神戸空港にみるようにハード偏重に走り、復興の道筋を誤った。地域にヒトとカネの流れを取り戻せず、結果としてみどり銀も破たんした。本来の神戸経済の魅力を取り戻すためにも、みなと銀には中核として頑張ってほしい。