ひょうごの医療

中田敬司教授
兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)
中山伸一センター長に聞く
原理原則に固執せず活動
「東日本」で見えた課題も
東日本大震災では、全国から多くの災害派遣医療チーム(DMAT)が被災地に集まったが、阪神・淡路大震災とは医療需要の内容が違ったことや通信の途絶、活動を調整する機能の不十分さなどから、多くの課題も残った。統括DMATとして、岩手県の花巻空港でSCU(広域搬送拠点臨時医療施設)の指揮を執った兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)の中山伸一センター長(59)に聞いた。
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- シリーズ37 災害医療
2015/1/3~2015/1/24
1995年1月17日、阪神・淡路大震災。あの日、崩れた倒壊家屋の下敷きになって重傷を負ったり、その後の避難生活で体調を崩したりした人たちが、十分な医療を受けられずに相次いで命を落とした。この20年で、そうした状況は改善されたのか。兵庫県内の医療の最前線に迫る連載の第37シリーズは、災害医療を計4回にわたって取り上げる。

