2カ月に及ぶロックダウン(都市封鎖)が明けて2週間。心待ちにしていたその日がようやくやってきた。上海浦東国際空港から空路日本へ。「ふるさと」に帰るのは実に2年3カ月ぶりだ。
成田から東京を経て、新幹線で新大阪へと向かう。駅まで迎えに来てくれた妻、息子2人と再会。家族の絆を確かめるように思わずみんなを抱きしめた。
振り返れば、長く、険しい道のりだった。中国・武漢から欧米、アジア、日本へと感染が急拡大した2020年3月末。春節の休暇で帰省後、足止めを食らっていた神戸に家族を残し、1人上海に戻った。
1年後、17歳の次男は学業などのため上海に戻ってきたが、妻と長男はそのまま日本にとどまっていた。これだけの長い期間、家族が離れ離れで暮らすのは初めてだ。高齢の両親がいる神戸の実家にはすぐにでも帰りたかったし、日本にいる大勢の友人、知人にも会いたかったが、厳しい入国制限が続く中、隔離期間などのタイムロス、仕事への影響を考えると、中国と日本を行き来するのは現実的ではなかった。
もちろん、ビデオ通話などでスマホやパソコンの画面を通して、家族とは互いに元気な姿を確認し、その日の出来事顔を報告し合ったりできた。でも、オンラインで顔を見たり、声を聞いたりする機会が増えれば増えるほど、逆に人恋しくなる。「リアル」で会いたい、日本へ、神戸へ戻りたいという思いが募っていった。
しかし、隔離だけでなく、神戸への帰郷にはいくつかのハードルがあった。
一つは、みなし再入国許可の期限が切れてしまっていたことだ。国籍が中国で日本に永住権(在留資格)を持つ私の場合、日本出国から1年以内に再入国する際、通常の再入国許可は不要となる。1年のうちに何度も中国と日本を行き来するには、再入局許可を取るよりこちらの方が便利で、利用していたが、コロナ禍で期限のことなどすっかり失念していた。
日本へ戻るには日本領事館を通じて一時的な入国のビザの取得が必要となる。コロナ禍の混乱もあって結果的に申請から承認まで約1カ月を要した。
もう一つは、中国と日本を結ぶ国際線の大幅減便だ。世界的なパンデミックで、利用者が激減したのだから仕方ないが、チケット代は2倍から3倍に高騰。手に入れるのも困難を極めた。
それでも昨年末、日本の入国制限の緩和されることになり、帰国を決意。再入国許可などの手続きを整え、どうにかこうにか飛行機のチケットも確保し、「さあ、神戸へ帰れる」と思った途端、日本の感染状況が再び悪化。外国人の入国禁止が延長されたため、帰国を断念せざるを得なくなった。
日本の状況が好転すると、今度は上海で感染が広がり、ご存じの通りロックダウンで、日本への渡航申請業務は全面ストップに。故郷への道のりは遠ざかる一方で、途方に暮れたこともあった。
そんな苦難を乗り越えて、たどり着いたふるさと。家族との再会を果たすと、緊張の糸が途切れたのだろうか、体から一気に力が抜けていくと同時に、疲労感に見舞われた。安心したからかもしれない。
日本滞在中は、2年3カ月の「空白」を埋めるため、失われた時間を取り戻すため家族や友人と語らい、生まれ育った街、青春時代を過ごした懐かしい場所を訪ね、歩き回ろうと思っている。上海ではどこへ行くにも「健康コード」の提示が必要だが、日本ではそれも不要だ。ビデオ通話やバーチャルツアーはもはや当たり前となったが、やはりリアルに勝るものはない。フェイス トゥ フェイスで交わす言葉、共に過ごす時間は格別だ。街をあるけば、匂いや温度を感じることができる。
中国は祖国、生活と仕事の拠点は上海だが、生まれ故郷は日本。兵庫、神戸だ。両親が暮らし、幼なじみや学生時代の友人も多い。これまで祖国とふるさとを行き来することで、暮らしにも仕事にも潤いと刺激を与えられていたのかもしれない。そうやってバランスを取っていたのではないだろうか。長く、曲がりくねった道を歩んでたどり着いたふるさとで、そんな思いを抱いた。
2022/7/21