「大人になったら何になりたい?」
子供の頃、誰しも聞かれたことがあるだろう。プロ野球選手、ピアニスト、パイロットに看護師さん、学校の先生…。今だと男の子はサッカー選手が断トツかもしれない。
昭和42年生まれの私が憧れたのは、やはりプロ野球選手だ。テレビのナイター中継や、たまに球場で見る選手たちは無茶苦茶かっこよく、輝いて見えた。中でも夢中になったのは世界の王貞治。一本足打法でホームランを打つ姿にテレビの前で釘付けになった。
そんな私に父はこう一言。「お前の職業は医者か料理人だ」
なぜ?納得がいかないというか、あまりにも唐突すぎて戸惑った。理由を尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「病気になっている人が目の前にいれば、誰でも何とか助けてあげたいと思うだろ。お腹が空いている人がいればどんな人が作った料理でも食べたいと思うだろ」。
父は現在80歳。戦前、祖国中国から日本にやって来た。戦中、戦後と厳しい時代を生き抜いてきた。
日本人社会で苦労を重ねてきた父が言いたかったのは、国籍や人種にとらわれない仕事。手に職をつける事。すなわち食べるのに困らない技術を身に付けることの大切さを、幼きわが子に伝えようとしていたのだ。そう言えば私の親戚には医者が多い。
子供の頃に憧れた職業にそのまま就けた人は、そう多くはいないだろう。
大半の人は学校を卒業すると就職する。それが幼い頃に就きたかった仕事ではなくても、生活のため、家族のため、世間体のためと割り切らねばならないことも少なくはない。転職したとしても、子ども時代の夢を叶えるとなると、なかなかハードルが高い。
もちろん暮らしや家庭は大切だし、世間体を気にすることだってそれはそれで重要だ。「やってみたい」「なってみたい」「かっこいい」という純粋な憧れ、夢だけでは、世間の荒波を乗り越えてはゆけない。忙しさに追われ、夢を抱いたことさえ記憶の彼方へと追いやられるかもしれない。歳を重ねると抱える“荷物”も次第に増えてくる。「忙しい」は心をなくすと言われるが、そういう時こそ、今自分が働いていることの意味について考えてみてはどうだろうか。そう、あの頃の気持ちに立ち返るのも悪くはない。なんでパイロットに憧れたのだろう。看護師さんになりたかったのはどうして、と。
制服に憧れたのか、飛行機が好きだったのか。病気やけがを負った人を助ける姿に心を揺さぶられたのか。思いを馳せることによって、ピュアな心を持ったあの頃の自分に出会えるかもしれない。そこで自問してみよう。今の自分は生き生きと働けているかどうか。
少年時代に憧れたプロ野球選手にはなれなかった。だけど、大学、社会人とアメリカンフットボールに打ち込み、充実した日々を送ることができた。父が願った、医者や料理人にもならなかった。それでも祖国中国で経営コンサルタントとして、生き生きと働くことができている。
50を過ぎた、そんな息子の姿を見て父はどう思っているだろうか。きっと喜んでいるに違いない。
2017/4/30