私は神戸市兵庫区にあった川池小学校(現会下山小)に通っていた。昭和30年の頃である。学校は神戸市役所の向いにあり、神戸を代表するモデル校、そしてマンモス校だった。全校生徒3000人。教室が足りず低学年の授業は午前組、午後組と分けられていた。
日本は戦後復興の活力に燃え、あの界隈(かいわい)は神戸の中心であった。学校の近くには東山商店街が賑(にぎ)わい、湊川公園では野外での映画会、コンサート等が行われ、小さなニュース館があった。休日には家族でそれらを鑑賞した後、新開地をそぞろ歩き、食事をするのが何よりの楽しみであった。
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