ウクライナへのロシアの侵攻はとうとう年を越してしまった。連日テレビで惨状を訴えるウクライナの人々の毅然(きぜん)とした姿を見るにつけ、私は28年前、私達を突然襲ったあの大震災を思い出さずにはいられない。
我家(わがや)は六甲山の麓にあり、主人は海外に赴任、息子は東京在住で娘と2人の生活であった。ライフラインは壊滅。電気だけは午後から復旧し、倒れた家具の中、呆然(ぼうぜん)とテレビを見続けるしかなかった。神戸市兵庫区に住まいの母の安否は?と案じるが、知る術がない。歩いて行けるだろうか、否、余震の中、娘と家を守らねばと心が揺れる。犠牲となった方々の名前が画面に流れ出した。お世話になったO氏、ピアニストのIさんの名が第一報にあった。母もダメかもしれないと自分に云い聞かせた時の冷静だった自分が今も信じられない。娘と家を守ると決めた覚悟がそうさせたのかもしれない。
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