産業福祉への歩みは、曲折した道のりだった。大学は、1浪して、25倍の新設理学部・物理学科へ入学した。父は国立大の理学部教授で、姉も理学部へ進学しており、ごく自然な進路選択だった。
化学科では、3年次の夏に実習が行われたが、物理学科にはなかった。希望を教員へ伝えたが、実現しなかったため、自主的に実習を実現させることにした。企業交渉をしてバスと昼食サービスを出してもらった。引率教員は、小生から直接お願いをした。そして実習当日の講義は、一人一人の教員に頼み込んで、休講にしてもらった。
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