日本人の両親をもつ息子は今世紀初め、アムステルダム南地区の白人や有色人種のオランダ人、移民や難民の子どもたちがほどよく混ざった公立校で楽しい小学時代を過ごした。オランダ人の親友と毎週、どちらかの家で食事を共にし、母息子4人で1泊旅行をしたり、大晦日(おおみそか)を共に過ごしたりもした。
ソマリアからの難民の朗らかな少年が男の子たちのリーダー格で、皆一目置いていた。20年前のオランダは親子共に難民を受け入れ、自然に接するのが暗黙の了解、という空気感があった。さまざまな人種の友だちがいるのが当然で、肌の色ではなく中身を見られる人間に息子がなったことが嬉(うれ)しい。
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