前回に書いたように、僕の出身は豊中市だ。お隣の吹田市で大阪万国博が盛大に催されたことで街としての豊中市も発展し、僕らのような若い世代の夢や未来への希望を膨らませてくれた。
小学生の頃の僕は手も小さかったし身体も大きいほうではなかった上に、運動神経や反射神経は鈍く人一倍不器用だった。でも子供の頃はそんなことは気にせず、丁寧な練習をすることよりも耳で聴いた曲を適当に編曲して弾くのが好き、という、甚だ能天気なピアノへの取り組み方をしていた、と振り返ってみて思う。
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