新しいけど、懐かしい。阪神電鉄打出駅に近い芦屋市・若宮地区の街並みはそう評される。
2・6ヘクタールの区域に小さな市営住宅が6棟、分散して立つ。2~5階建ての低層でモダンな外観=写真=が、戸建ての並ぶ通りに溶け込む。植栽や広場が整う町全体が公園のようだ。
大小の道を、子どもたちが走り抜け広場へ。昨年12月、約50人がもちつきを楽しんだ。「親の代からの行事。町の姿は変わっても、住民の付き合いは変わらない」。ずっと暮らす老人会「寿会」会長の吉川稔さん(81)が目を細めた。
かつて、古い戸建てや長屋が混在、密集していた街は、阪神・淡路大震災で住宅の9割が全半壊。「住民主導」で進んだ町の再生は、険しい道のりだった。
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地震から半年後、市が示した案は、のめなかった。すべての土地や建物を買い上げ、7~8階の高層公営住宅を建設するという。
「戸建てで再建したい」「大きな集合住宅では、人付き合いが薄れる」
意見が飛び交う中、住民で立ち上げたまちづくり協議会は、全世帯の「面接」に乗り出した。「全住民が納得するまで」。まち協のコンサルタントだった「ジーユー計画研究所」(神戸市東灘区)の後藤祐介さん(67)らが、朝から晩まで、8日間。約260世帯の要望を聞いて回った。
「一人一人の人生設計まで聞けたのが、一番よかった」と後藤さん。10ヘクタールを超える区域での復興事業も多かった中、2・6ヘクタールの小さな区域は顔なじみも多く、意見を聞きやすかった。
市は、住民案をもとに震災復興住環境整備事業に着手。2001年、多くの行政主導の区域よりも早く、事業は完了した。主要道路が、震災前から整備されていたことも大きかった。
希望する住民は地域に残った。吉川さんも、戸建てから市営住宅に移った。でも「おかずのやりとりや、旅行土産のおすそわけ。付き合いは震災前と同じ」
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「もうやめたい。もうやめよう。何度も思った」。神戸市兵庫区湊川町2の篠原元吉さん(85)は「住民施行」の苦労を振り返る。
地震後の火災で大半が焼失した同町1、2丁目。狭い路地が入り組み、道路拡幅が必要だったが、1・5ヘクタールの区域はほかの被災区域より狭く、行政主導の事業対象にならなかった。
住民は組合を設立し、土地区画整理事業や住宅の共同化に取り組む。道路は最低限の拡幅にとどめたが、それでも敷地を削られることへの反発は強く、一軒一軒、お願いに回った。組合理事長だった篠原さんは率先して敷地を削った。
小さな区域は当初、財政支援も限られた。震災特例でも面積2ヘクタール以上、道路整備は幅6メートル以上だった補助要件。市が国に何度も働きかけ、区域は1・5ヘクタール、幅4メートル以上の道路整備にも補助がついた。
02年完了。「最後に納得してもらったのは、日ごろの付き合いがあったから」。篠原さんは信じる。
「住民主導」。理想とは裏腹の苦労がある。まとまらなかった地域も多い。意見対立や調整役不在、情報不足。熱意を後押しする側面支援もまた必要になる。(上杉順子、岸本達也)
2010/1/14