阪神・淡路大震災は高度に都市化した地域にかつてない被害をもたらした。被災者は生活や人生の設計変更を余儀なくされた。法的な壁にぶつかった被災者からは、さまざまな裁判が起こされた。中でも、火災保険の支払い請求▽被災マンションの復興▽借地借家の権利をめぐる争い▽欠陥建築による被害の損害賠償請求・の四つは被災者の暮らしに密接にかかわる裁判として挙げられる。これらの訴訟経過などからは、現行法では解決できないケースや、法に従うと被災者救済につながらない現実などが浮き彫りになった。本来、人を守るはずの「法」が、被災地でその限界と矛盾を見せつけた。
■マンション 「過分費用」の判断示さず
都市の住宅街を襲った震災は、分譲マンションにも大被害をもたらした。「建て替えか、補修か」。意見集約に揺れた住民の間で、訴訟に発展したのは四件。いずれも区分所有法に基づく決議の有効性を争う判例のない訴訟だ。
初判決は、震災から四年五カ月たった今年六月、神戸市灘区のマンションの訴訟で言い渡された。建て替え反対派の訴えを退け「建て替え決議有効」としたが、根拠は「多数の所有者の主観」だった。
区分所有法は一九八三年の改正で「住民の五分の四を超える賛成」を条件に、多数決による建て替えに道を開いた。同時に建物価格などに照らし、補修では費用がかかり過ぎる(過分の費用)ことを要件とした。
だが、同法は「過分」の基準を明確にしていないため、判決では、建て替えにどれだけの住民が賛成したかという「多数の主観」がよりどころとされた。建て替え反対派は「少数切り捨て」と控訴している。
高度成長時代に建設されたマンションが今後、次々と建て替え時期を迎える。震災後のマンション訴訟は、同法の見直しとともに、損壊程度や補修・建て替え費用などを客観的に調査し、所有者間の調整を図る支援システムの必要性を示している。
■火災保険 明暗分けた「事実認定」
大規模火災が被災地をなめ尽くした震災。被災者をさらに打ちのめしたのは「保険金が出ない」という現実だった。
損保会社が支払い拒否の理由にしたのは約款の「地震免責条項」。しかし、被災者には「十分な説明を受けていない」「何でも地震を原因にするのはおかしい」との思いが強い。訴訟は神戸や大阪地裁で約三十件に上る。
これまで約十件の判決は、出火場所や原因の「事実認定」で明暗が分かれた。失火や原因不明の場合は保険金支払いを命じ、原因が「地震による」とされたケースは訴えが棄却された。
「延焼火災の原因」が問われた訴訟四件では消火活動が争点となった。地震六日後の火災を除いた三件では「平常時の活動ができなかった」ことから「地震と因果関係あり」とされた。
いずれも地震免責そのものの有効性は認めており、約七十年前の関東大震災時の判例を踏襲。その上で事実関係を検討した結果を判決に結びつけている。
しかし一方で、被災者が不満を持ち続ける「十分な説明があったかどうか」の点では、判決の指摘はない。背景には、契約のあり方をとらえる現在の法の未整備がある。担当弁護士は「保険業界への国の指導を徹底させると同時に、説明義務を盛り込んだ『消費者契約法』の法制化を進めるべきだ」と話す。
■借地・借家 想定外だった集合住宅
震災をめぐる訴訟や調停で最も数が多いのは借地・借家の問題だ。
被災地には震災直後の一九九五年二月、「罹災(りさい)都市借地借家臨時処理法(罹災都市法)」が適用された。借りていた建物が壊れても、地主から優先的に土地を借りることのできる「優先借地権」や、再建建物を優先的に借りる「優先借家権」が盛り込まれた。
同法では、建物再建など正当な理由があれば、地主側も借家人の申し出を拒絶できるとする。一方、「理由がない」として判決で借地権を認め、権利金の支払いを地主に命じたケースもある。「地主も被災者なのに土地の権利が制約されるなど負担が大きい」との指摘が出る。逆に、裁判に入っても途中で解決金を受け取って和解し、権利放棄の道を選んだ被災者も多い。
同法適用については「借地・借家人の動揺を抑え、混乱期に土地売買が無秩序状態になることを抑えた」と一定評価はある。しかし、もともと同法は終戦直後に制定された。マンションなど集合住宅での権利関係は想定しておらず、借地権の金銭的な価値も今は格段に高い。
都市型災害での適用は、法と現実との大きな「ずれ」を見せつけた。
■欠陥住宅 消費者に重い立証責任
震災では欠陥建築の問題も浮上した。訴訟でも、建物構造上の問題の立証に時間がかかり、調停で和解するケースが目立つ。
裁判で争う場合、建築会社や販売会社など被告側は、「倒壊は予想を超えた地震が原因。不可抗力」と主張する。原告の訴えが認められた訴訟は、建築基準法上の法令違反などを根拠に「通常求められる強度がなかった」と判定された場合だ。
一方、震災による建物倒壊について、学術調査が確立していないことも訴訟に影響を与えている。
神戸市灘区の家屋に隣接のビルが倒れかかり、住人が圧死した・という裁判は今年七月に和解した。ビル側はある程度の欠陥を認めたものの、ビルが倒れなくとも家屋は倒壊していたと主張。死亡者二人が二階にいたことから、「被災地全体での住居二階での圧死割合」も争点となった。ビル側代理人は「ある学会調査を一つの目安にしたが、統計としての不確かさは否めない」とする。
欠陥住宅問題に詳しい弁護士は「欠陥の立証を消費者側がしなければならない状況では、裁判も大変。建築基準法の見直しや工事途中の検査の徹底が急務だ」と指摘する。
■直後の特別立法16本 前例主義で柔軟性欠く
「法とは何か」を問いかけた阪神・淡路大震災。震災を受け、国が見せた特別法制定の動きもまた、法と被災者の距離、国と被災者の距離を浮き彫りにした。
緊急措置として直後の一九九五年二・三月に制定された特別法は別表の通り十六本。被災者の税減免や制度緩和、財政支援が目立つ。兵庫県などは当初、地元主導の復興と財源措置を法的に位置づけた包括的な特別措置法を求めたが、実現しなかった。
最初の特別法が成立したのは震災一カ月後。「地方税法の一部改正」は壊れた家屋などを雑損控除対象とする内容で、兵庫県内の住民税雑損控除申請は前年の八百六十倍まで増えた。
ハード復旧にも力点が置かれた。「震災に対処する特別の財政援助及び助成に関する法律」では災害復旧の補助対象を拡大。コンテナバースが大破した神戸港埠頭公社は復旧費の七七%にあたる九百二十四億円を同補助でまかない、「特別法がなければ、港復旧はなかった」とする。
一方で、疑問視された特別法もあった。「被災市街地復興特別措置法」では、最長二カ月だった建築制限を二年まで延長した。住民と自治体がじっくり都市計画を協議できるはずだったが、実際には一件の適用もなし。三月の都市計画決定を目指していた県は「成立が遅すぎた」とするが、ちぐはぐさは否定できない。
「十六本の特別法は今後の災害対応の前例」。元国土事務次官の三井康壽氏はそう話す。しかし、一連の対応は既存の枠組みのなか、個々の特例措置で対処しようとした姿勢を示す。
道路や港の整備に比べ、格差が広がるばかりの生活や住宅の再建に対し、国が「公営住宅家賃補助」などに踏み出したのは震災の翌九六年六月。さらに現金を支給する「被災者生活再建支援法」が国会で成立した時は、震災から三年四カ月が過ぎていた。
(社会部・小野秀明、梶岡修一、徳永恭子、東京支社・松井元)
1999/8/18