「もともと区画整理反対でスタートした。いつの間にか、市と一緒になっている」
「家の敷地に道路が走る。道を広げる必要はない」
矢面に立ったのは、住民の依頼で街づくり案をまとめた小島孜・近畿大教授ら専門家だった。昨年十一月末から十二月にかけ、計十二回開かれたブロック集会でのことだ。
住民には区画整理はごめんという思いが強い。しかし、小島教授らは、住民の意向を随所に盛り込みながらも、区画整理という手法しかないと判断した。
集会で、小島教授は言葉を選ぶように話した。
「今の段階で、行政が区画整理を撤回する余地は極めて少ない。それなら、この手法でどこまで皆さんの意向を反映させるか。その観点から案をつくった」
「われわれは、市から一銭ももらっていない。恐ろしいのは、行政と住民の考えがかけ離れることだ」
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震災後、区画整理地域に指定された「芦屋西部地区」は、JRと阪神に挟まれ、広さ二十一・二ヘクタール。津知、清水町など約千五百世帯のうち六五%が全壊した。
住民らは「芦屋西部地区住民の会」を結成、計画の取り消しを求める訴訟の動きも見せた。
しかし、「会には全住民の七割が入っていたが、三割の意思が分からない。その意見を聞かずに反対、反対と進んではいけないと考えた」と、住民の会代表だった森圭一さん(49)。
会は昨年三月、全住民を対象にした芦屋西部地区まち再興協議会として再出発する。まちづくり協議会ではなく、再興協議会としたその名前には、行政と距離を置き、自分たちで街づくりを考えるという思いがこもっていた。
協議会の結成当時、住民の前には市がつくった街づくり素案と、住民の会がまとめた街のイメージ図があった。今後の街の姿をどう描くか。協議会は、五人の専門家に支援を依頼した。以前からかかわりがあった小島近大教授ら三人に、市が推薦した岡村泰郎弁護士ら二人が加わった。
「行政が出した案を住民に説得するようなことはしませんよ」。岡村弁護士は当時、市の担当者にクギを刺し、協議会のメンバーと顔合わせをした後、就任が決まった。
ブロック集会で示された案は、「手法も含めて実現可能な案を」という協議会の依頼を受けた結果だ。今の道路を生かす形で、斜めや段違いに道路が走る。四・五メートル道路も採用するなど、市の素案に比べ道路幅も狭くなっている。
だが、住民の眼はどうしても「わが家」に向く。自分の土地はどうなるか、移転は必要か。「接道条件を満たさない宅地や私道解消など、全体的な街づくりの中で改善を進める必要がある」という専門家の説明にも、なかなか納得できないようだった。
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集会後、協議会は幹事会を開き、住民の意見を加味した修正案の作成をあらためて依頼した。専門家の一人、安藤元夫・近大教授は「区画整理を前提とした以上、それは動かせない」と話した。案は一月中にまとめる予定だ。
協議会の代表、古藪勝さん(71)は、修正案の先を見据えながら漏らした。「住民の分裂、いがみ合いだけは避けたい」。安藤教授は「基本的には住民サイドに立ちながら、住民と行政との接点をつくっていくこと」と、自らの役割を語る。結論は、まだ先である。
1997/1/9