テレビドラマ「ハンニバル」のデュオ、マッツ・ミケルセン(右)とヒュー・ダンシー。(©牧村英里子)
テレビドラマ「ハンニバル」のデュオ、マッツ・ミケルセン(右)とヒュー・ダンシー。(©牧村英里子)

 マッツ・ミケルセンとヒュー・ダンシー。2013年4月から放映されたアメリカのテレビドラマ「ハンニバル」に精神科医のハンニバル・レクター博士、FBIの犯罪プロファイラー、ウィル・グレアムとして出演し、空前絶後の熱狂を世界に巻き起こした唯一無二のふたりだ。

 一方、ここは2024年12月の東京、地元民に愛される焼肉店の隅っこテーブルである。仲良く横並びに座り、私の焼く上ロースをキラキラ輝く四つの美しい瞳で見つめているのは上記の俳優、マッツとヒューだ。

 何かがおかしい。眼前にいるのは「ハンニバル」のデュオである。役柄からして、純愛をも超越した形而上的な存在ともいえるウィルのために焼肉奉行を司るのは、本来レクター博士の仕事ではないか。

 料理をすることは私の大きな癒しであるが、焼肉店での奉行の御役だけは御免仕りたいタイプの人間である。我が手つきを見かねたのか、可愛すぎる女将さんが終始面倒を見てくださった。テキパキと網を変えたり、我々の好みを瞬時に察して注文のアドバイスをして下さったりとなんて親切なのでしょう。私はもう一生ここに通いますと女将のヨウコさん(仮)に宣言したら「僕もー」「僕もー」と陽気なマッツとヒューの声。はいはい、紳士のおふた方も一生一緒にお通いください。

 …と、軽口はさて置いて、ファンの方々の悲願であったマッツ・ミケルセンとヒュー・ダンシー両俳優そろっての来日がついに実現した。東京コミコン2024のスターセレブとして日本の地に舞い降りた彼ら。特にヒューは初来日とのことで、多忙なスケジュールの合間を縫っての短い東京滞在ではあるが、コミコン参加者の方々との毎分毎秒を存分に楽しんで欲しいと願うばかりである。

 私は1カ月の海外公演から帰国したばかりで、スーツケースを開ける間もなく少々疲れ気味なまま彼らと合流したのだが、世界を飛びまわる皆さんのまあ元気なこと。肉体的な疲労など吹き飛ぶほどファンの皆さまとの交流や同僚たちとの再会が嬉しく、この貴重な「いま」を楽しもうという気力に満ちているからだろう。

 マッツ来日時の拙コラムは食にフォーカスを当てた内容のものが多いが、それは日本で会話をする時間が食事どきに集中するためだ。マッツとそのチームはもちろん食以外にもニッポンの様々なことに興味津々なので、それについてもいつか触れたいと常々思っている。しかし、今回はマッツ&ヒューのハンニバル組がそろうというレアケースである。やはり彼らと肉の関係性について書かずしてどうするという気概を大いに感じた結果、今回も食、特に肉についての記述が過多なことを予めご了承ください。

 さて、前出の食卓での会話は加速して盛り上がり、それに比例して食事の注文量もみるみる増えていく。ひと通りの肉の部位を試してもらったが、後半は上ロースの一本釣りとなった。精神科医と犯罪プロファイラーのハンニバルデュオが実に幸せな面持ちで肉を食べる様子は、ヒトビトにある種の多幸感を与える。そうして食を愉しみながらも「ところでヒューは普段から料理をするの?僕はね…」など、可愛いにもほどがある会話が交わされることを追記しておこう。

 このローカル焼肉店を大層気に入ってくれた御一行であったが、翌日も肉がいいな、それも神戸ビーフだったらハッピーが過ぎるなと遠慮がちにチラチラと私を見てくる。連日で肉・肉ときた。私は神戸育ちなので、牛に対するレスペクトの思いが強く、ゆえに妥協もできない。師走のトーキョーで、最上級の神戸ビーフを提供する店の直前予約か…。できるかな、とれるかな。

 (ああっ、予約が人数分取れました!)

 翌日のこと。入店して着席すると、まずワインリストに集中。テイスティングが終わってしばらくすると、お店の方がメニューのオーダーを承りますとテーブルにいらした。

 お店の方「お肉の焼き加減はいかが致しましょう?」

 マッツ「(間髪入れずに)レアで」

 チームマッツ「レアで」

 私「ブルーで」

 マッツ「(間髪入れずに)僕もブルーで」

 そして、自分はどうしようかと思考中のヒューに、最高品質の神戸ビーフはブルーで食べるのが一番だよ、何故ならねと熱弁し始めた。あらっ、最初は食い気味に「レアで」とオーダーしていたのはどこのどなたの至宝さんでしたかしら?

 ヒュー「僕もブルーで」

 お店の方「承りました」

 結局、火入れはそこにいた全員がブルーとなり、得意げなマッツの様子に声を出して笑ってしまった。食事に限らず、何かを決める時には必ず無数の会話が飛び交い、そのひとつひとつが後々まで語られる楽しいエピソードとなる。

 そしてマッツのチャームが止まらない。

 寿司も大好物である彼だが、短期来日での食事の機会は限られている。実はこの店の予約が確定するまで、肉と寿司のマリアージュ、すなわち肉寿司で手を打ってもらえないだろうかと考えていたのだが、ラッキーなことにメニューの一品として肉寿司がサーブされたではないか。お皿が運ばれてきて、おもむろに箸を取るデンマークの騎士(フランスでも受勲)。

 「お気に召した?」と感想を問うと意外にも「…お気に…召さない…かもしれない…」との返答だ。

 こんなに旨味が凝縮された肉寿司を私もそうは口にしたことはない。なぜお気に召さないのかと聞いてみたところ「たったいま、自分はこんなにも美味しい食べ物がこの世に存在すると知ってしまった。この芸術品のようなクオリティの肉寿司はこれから毎日食べられるものではない。そのことを考えるとなんだか辛くなってきた」ですって。

 まるで自我に目覚めたばかりの幼な子のようなこの瑞々しい感性。そしてその言語化の巧みさよ。いかにもマッツらしい天性のチャームに居合わせた長年の仲間たちも思わずニッコリしてしまった。筆が滑って幼な子のようなと形容したが、考えてみれば大人だってそうだ。ヒトは美しすぎるものに触れたとき、圧倒的な感動の中に少しの悲しみと痛みを感じるではないか。

 少々話が逸れた。

 ヒューはというと、初来日に初神戸ビーフと初尽くしで、傍らには肉について指南をくださるディットマンさん。多くのファンの方々との愛と熱気に満ちた交流を筆頭に、日本での短い滞在を楽しんでいる様子が伝わってきてこちらも嬉しかった。イギリスの超名門ボーディングスクールからオックスフォード大学に進学したヒューは、オックスフォード・ケンブリッジ両大学関係者の話すいわゆる「オックスブリッジ・アクセント」が自然と身についているようだ。アメリカ英語も非常に流暢とのこと。私は英米に住んだことがないので詳しくは分からないのだが、彼の発音はとても美しく聞こえる。ヒューが話していると、音楽家の自分にはスカルラッティ演奏時のアーティキュレーションが思い浮かんでくる。ブルゴーニュで公演してきたばかりだという私に、ヒューはこれまた美しいフランス語でいくつかのフレーズを口にしていたが、もしかしたら仏語もいけるのだろうか。

 やがて、肉が運ばれてきた。火入れは前述のように、表面を数秒焼いただけで中身は生の状態のブルーである。大理石のように見事なサシが入った神戸ビーフがマッツとヒューの喉元を通り過ぎていくさまは、もはや名画と言っても過言ではあるまい。

 マッツとヒューは10歳の年齢差があるそうだが、ふざけ合いながらもお互いを非常に深く「尊敬」しているのが会話の節々から強く感じられる。あるアーティストの天賦の才になぜ心打たれるかとの話題になった時、ヒューが「例えばマッツの演技に触れると…」と天賦の才の例として至宝の名があがるし、デンマークの騎士は騎士で「ヒューとの創作過程において…」とイギリス出身で湖水のような青い瞳をたたえた俳優との間に生まれるシナジーについて熱く語り始める。

 彼らと時間を過ごしているうちに、ある歌詞が脳内で再生され始めた。どこかで耳にした『一生一緒にいてくれや』である。マッツもヒューも、これまで多くの同僚と仕事をしてきただろう、そしてこれからも新しく出会う俳優たちと映画に出演していくだろう。だが、この特別なふたりには生涯の友として『一生一緒にいてくれや』と切実に願ってしまう何かがある。邦楽にはめっぽう疎いので、アーティストと曲名を携帯でそっと調べたら、三木道三氏作詞・作曲による“Lifetime Respect”だった。「生涯『尊敬』」か…。いやもう、これは出来過ぎだろう。さらに本コラムの冒頭で「一生一緒に」と書いた記憶もある。

 「ちゃんと俺を愛してくれや」「ちゃんと俺に愛さしてくれや」とばかりにわちゃわちゃ楽しそうなこの世紀のデュオに「こんな気分が運命って気がすんねん」と思わず日本語でシャウトしてしまった。ふたりは「ん、急にどうしたん?」といった表情でニコニコしていたけれど、貴殿がたのことですねんて。言わんでも分かるやんね。

 拝啓マッツ&ヒュー。2025年も2人そろっての姿を日本でお目にかかりたいと熱望するファンの方々とともに、ハッピーホリデーズとハッピーニューイヤーを言祝ぎます。またぜひ近々一緒に帰ってきてください。肉だけではなく、山海の幸も取りそろえてお待ちしております!