去る12月、東京コミコン2023にスターゲストとして参加するため、北欧の、世界の至宝マッツがチームとともに日本へ戻ってきた。5月に続き、2023年2度目の来日となる。皆さん、お帰りなさい!
【前編】はこちら↓
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/culture/202312/0017179706.shtml
この度の来阪時はマッツの代表作のひとつ「ハンニバル」から構想を得て、ミケルセン版レクター博士の食にテーマを据えてコラムを書いた。食はヒトなりということで、本コラムも東京での食レポでキックオフ。
【YOU ARE WHAT YOU EAT】
・神戸ビーフ
今回の来日で遂に神戸ビーフA5のNo.12を食したマッツ。数年前に鉄板焼きのお店でA5に舌鼓を打っていた時、神戸育ちの私は何気なく「いま頂いているA5は最高の等級だけれど、霜降りの度合いによってA5はNo.12までランク付けされているんだよ」と言ってしまった。何事にも興味津々のマッツと友人たちは、喉元を通り過ぎていった肉のランクを知ると(その肉もNo.12ではないが十二分に美味しかった)、最上級ランク制覇に向けて俄然燃え始めた。次回来日時は必ず!と約束したのだが、去年5月の大阪滞在時はギリギリになるまで予定が立たなかったため、なんとか直前予約を取りつけた鉄板焼き店には残念ながらNo.12がなかった。そこでサーブされた肉も見事なサシが入り大変結構なものであったが、今度はmade in Kobeである私の野望に火がついた。次こそ、次こそはと改めて固く約束して、今回の東京滞在中にようやく恋い焦がれたNo.12と邂逅した。「せーの」で愛する人(肉)を口へ運ぶと、我々を暫しの静寂が訪った。マッツは瞳を閉じて幽玄の世界に遊ぶかのように陶然とした表情を浮かべている。画面越しではない、実存のレクター博士がここに爆誕した。
・寿司
「お寿司を食べたいヒトー」「はーい(全員)」というわけである夜、お寿司屋さんへ向かった。大トロ・中トロ・赤身の食べ比べを楽しみ、マッツご所望のあなごを味わいつつ熱燗をくいっと干す。彼の母国、デンマークでは燻製うなぎのオープンサンドがよく食されるのもあり、あなごとうなぎの生態差や味の違いについてディスカッションが繰り広げられた。そういえば、2017年の東京滞在でうな重を頂いたねと思い出話をしていたら、お店の方がご厚意で蒸しあなご料理も出してくださった。マッツはお寿司をかなりお気に召しているようで、後日もランチで供された際、気持ちのよいテンポで完食していた。
・中華料理
和洋を問わず、マッツの食事作法はとても美しい。マナーに沿ってという堅苦しさは微塵もなく、注文した品が運ばれるとナイフとフォーク、箸、ときに手を器用に使ってすーっと食していく。中華料理も然りで、皆とわいわい会話しながら空芯菜、小籠包、豚とピーマンの炒め物、餡かけ炒飯など、気づかないうちに皿を綺麗にしてゆく。長い一日を終えてかなり疲れているだろうに、大皿から人数分を小皿に取り分けてくれるのがいかにも彼らしい。ちなみに中華のお供はビールだった。私たちのテーブル横では厨房の方が賄いを食しておられ、ローカル感満載の非常に心地よい店だった。また皆で再訪したい。
・ドリンク
東京滞在中のお酒は、ほぼ日本酒とビールで通していたマッツ。バーで一度、普段注文しない飲み物を頼んでいたと記憶しているが、ドリンク名を聞きそびれてしまったので今度尋ねてみよう(覚えているかな?)。チームマッツの1人は梅酒にハマり、そこからのバリエーションでゆず酒や紫蘇酒も勧めてみた。最上の氷球を浮かべた梅酒のロックを作ってくださったバーテンダーの方に、この場を借りて感謝申し上げます。
(これにて YOU ARE WHAT YOU EAT「食はヒトなり」完。次項からマッツのエピソードに移ります。)
【少年時代】
ディットマンさんはよく少年時代の話をする。昨日まで少年だったかのように生き生きと鮮明に語られるマッツ少年のストーリーは尽きることがない。小学生の時に観た黒澤映画への熱狂、ご両親の話、兄のラース(彼も素晴らしい俳優である)と共有した時間、育ったコペンハーゲンの遊び場、図書館へ通ってはレコードに聴き惚れたことなど、湧き水のごとく言葉がこぼれ出る。子供の頃の宝箱に収まっているキラキラしたビー玉のようなエピソードの数々に、聞く者は微笑んでしまう。本人がごく自然に振舞っているから私などには知りようがないが、大スターの彼は常人には計り知れないほど多くの重責を担っていると思う。そんなマッツが語る少年時代が色鮮やかで本当に良かった。ファンの方々、同僚、友人もみんなが嬉しくなる。
【音楽】
レコードの話からも察せられるように、マッツは小さい頃から現在に至るまで音楽を深く愛している。しょっちゅう鼻歌を歌っているし(エアギターを搔き鳴らすこともある)、鼻歌が高じてしばしばメドレーに発展してゆく。好きなバンドはピンク・フロイド。そしてクラシック音楽にも造詣が深い。
20世紀のクラシック音楽界に大旋風を巻き起こした作曲家で指揮者のイゴール(イーゴリ)・ストラヴィンスキーを演じたマッツ。2009年にワールドプレミアを迎えた映画「シャネル&ストラヴィンスキー」での撮影話をしてくれた。
イゴールが生み出した前世紀最大の革命的バレエ音楽「春の祭典」は複雑極まりない変拍子の連続で、オーケストラの演奏だけでも困難だが、バレエとの融合ともなると手に負えない。初演時の苦悩が偲ばれる(初演の指揮は作曲家本人)。主役のストラヴィンスキーに抜擢されたマッツは指揮法をどのように学んだのか。ダンサーとしてキャリアをスタートしたミケルセン氏は、踊りのテクニックから指揮習得のヒントを見出した。
ダンスにおけるリズムの取り方を熟知しているので、まずスコアを踊り手としての感覚でとらえて体に覚えさせる。その上で音楽を頭で何度も再生しながら体得したリズムを融合した末、ようやくタクトを振るに至ったそうだ。もう「ブラボー」しか出てこない。
【絶対音感!?】
前述のストラヴィンスキー作品「春の祭典」は、ピアノで言えばお臍の前の「ド」より1オクターブ高い「ド」の音から始まり、ファゴットのソロで奏でられるメロディは恍惚と痺れる無垢な官能を内包している。狂気的な静謐をも秘めたその戦慄の旋律について、もはや言葉では表現し切れずマッツは遂にファゴットのソロパートを歌い始めた。その瞬間、私は目を見張った。それが完全純正たる「ド」だったからである。
私「マッツ、もう一度歌ってくれる?」
マ「ド~」
再び完璧なクリーンヒット。
(10分ほどストラヴィンスキーの人生にについて熱弁し、さりげなく間を設けた後)
私「マッツ、申し訳ないけれど、もう一度『春の祭典』の冒頭をお願いします」
マ「ド~」
マッツ・ディットマンさん、貴方はもしかしたら絶対音感の持ち主かもしれぬ。三度とも完全純正の「ド」が出ましたよ!
そう告げると、なんだかすごく嬉しそうに「ド~、ド~」と自主練習していた。マッツの兄、ラースも歌がとても上手い。ミケルセン一族には音楽的なDNAが刻印されているのだろう。
こんな話をしている時に限って、たまたまその場にグランドピアノがあるというものだ。興に乗ってきたところで、私は「ド」を主題にしたバリエーションを即興で弾いた。
「ドだよね?最初、ドから始まったよね?」
演奏後、拍手をしながら目をキラキラさせて正解を待つミケルセンさん。はい、大正解です!
【ヨーロッパフィルムアワード主演男優賞受賞】
2008年、ヨーロッパフィルムアワードの授賞式にご招待いただいた。素晴らしい芸術作品を世に送り続ける監督や銀幕のスターが一堂に会し、女優陣の艶やかなイブニングドレス姿に目を奪われる。
イギリスの大女優、デイム・ジュディ・デンチに生涯貢献賞が贈呈され、凛とした佇まいで壇上に立ち感謝のスピーチを述べる彼女には、惜しみのない大きな拍手が贈られた。
主演男優賞部門にノミネートされたマッツはその当時、前述の映画「シャネル&ストラヴィンスキー」の撮影中で、髪を黒く染めて別人のように見えたが、ニコッと笑うといつものマッツだった。
その年の受賞は惜しくも逃したが、2020年に「アナザーラウンド」でマッツは見事に同賞を勝ち取った。そして、2023年は「The Promised Land」の主演男優として再度ノミネートされていたが、マッツの来日とベルリンでの授賞式の日が重なったため、式には不参加との事前情報が伝えられていた。
東京コミコン2日目を終え、初日に続いて大勢のファンの方々と接する喜びでアドレナリン全開のマッツとチームで夕食をとった。あまりにスケジュールが立て込んでいたせいか、私はその日が授賞式前夜といまいち認識しておらず、コミコン会場での楽しいエピソードなどで食卓は盛り上がっていた。食後、場所を変えて飲みに行く道すがら、時差の関係で数時間後にベルリンで受賞の結果が発表されると知り、興奮から思わず叫んでしまった。式には日本からのオンライン参加と決まり、機材なども揃えなければならないので、今夜は徹夜だろう。15年前の同アワード賞での黒髪・ブラックタイスタイルだったマッツを思い出しながら、どうか彼にヴィクトリーをと心の底から祈念した。
日本時間翌早朝、マッツは主演男優賞を受賞。この輝かしいニュースは東京コミコン最終日のファイナルステージで発表された。ファンの方々と一緒にその喜びを分かち合うという稀な経験をして、マッツも感慨ひとしおだったと思う。
なお「The Promised Land」はオスカーの国際長編映画賞にノミネートされており、3月のアナウンスが楽しみだ。
マッツたちとの別れ際はいつも明るく「また近々ね!」と感傷は湧かないのに、今回の「またね!」はなぜかひと味違った。ひとりで次の目的地に向かうタクシーの車窓から、やけに美しく晴れ渡った東京の冬空を見るともなく眺めていると、ふいにこみ上げてくるものがあった。多くのファンの方々の想いを深い感謝の念とともに受けとめて、さらなる偉業を成し遂げ続けるマッツとチームの姿が浮かんでは消えていく。赤信号で停車すると、運転手さんが何も言わずにティッシュを差し出してくれた。さまざまな感情が涙となって頂いたティッシュに吸い込まれていき、あとには優しい温もりだけが心に残った。
長くなってしまった。PCを閉じる時がきた。
来阪時に書いたコラムの末尾で記した願いが、7カ月後に東京で叶った。縁起を担いでこの記事も同文で締めたいと思う。
マッツ・ミケルセン。貴方が再び日本を訪れる日があることを多くのファンは切実に願っている。