1925(大正14)年5月の北但大震災で焦土となった豊岡市街地の一角で、震災からほどなくして、1軒の芝居小屋が建てられ始めた。のちに映画館となる「豊岡劇場」(豊劇、豊岡市元町)の始まりだ。
旧豊岡町発行の北但大震災の記録「乙丑震災誌」によると、未曽有の地震と火災でまちの約7割5分が壊滅・消失したが、相当のスピードで再建されていく。2年後の27年には豊岡町役場(今の豊岡稽古堂)が完成。防火を目指す「鉄筋混凝土(コンクリート)」(RC造り)の復興建築群や木造の大型建物が次々に立ち上がっていった。
豊劇の周辺は震災前後から商業や交通の要所としてにぎわい、震災後、円山川河畔地域には「花柳の街」が新設された。「豊岡復興史」によると、RC造りの劇場は32年に完成して初興業があったとされ、周辺もさらににぎわいを増したとみられる。
豊劇では今も当時の建物で、多彩な名作が上演される。スクリーンや客席は、時空を超えて100年前とつながっている。