神戸・三宮の東遊園地が今年、開設から150年の節目を迎えた。まだ日本に「公園」の概念も浸透していなかった時代に、旧居留地で暮らす外国人らがスポーツに興じた日本初の西洋式運動公園がはじまりだ。阪神・淡路大震災を経験した神戸市民にとって鎮魂の象徴となり、大規模なリニューアルを経たいまは、緑あふれる憩いの空間としても親しまれている。
「明治時代、公園というものを全国に広げる先導役を果たしたのが、神戸などにできた『居留地公園』だった」。5日、神戸市が東遊園地の芝生広場で開催した記念セレモニー。講演に立った東京農大の蓑茂寿太郎名誉教授(造園学)は、神戸を代表する公園の歴史的意義をこう評した。
神戸に居留地が完成したのは神戸港開港後の1868(慶応4)年6月。当時は近くを生田川が流れ、その河川敷で外国人が運動を楽しんだ。しかし生田川が氾濫を繰り返したため現在の場所に付け替えられ、その後、外国人の求めで75(明治8)年、河川敷跡に「内外人遊園地」が誕生。野球やサッカー、ラグビーなど西洋のスポーツが国内に広がる起点にもなったという。
99(同32)年、居留地制度の廃止に伴い国に返還された公園は神戸市の管理下へ。1922(大正11)年には旧居留地の東側に位置することから「東遊園地」と改称された。第2次世界大戦中は軍用地として学徒出陣の壮行会などが開かれ、戦後は連合国軍に接収された時期もあった。
そして95年の阪神・淡路大震災。神戸市役所に隣接する東遊園地は救援物資の集配拠点として使われ、以降は鎮魂と記憶継承の場となっていく。「神戸ルミナリエ」や、99年に始まった追悼行事「1・17のつどい」が毎年開かれ、2000年には犠牲者の名を刻む「慰霊と復興のモニュメント」も完成した。
ただ、神戸まつりなどの大型イベント時以外は利用が少なく、市は15年から市民有志らと協力して一部を芝生化する社会実験に着手。これが大規模な再整備につながる。「こうべ花時計」が市役所旧2号館の近くから移転し、22年には建築家の安藤忠雄さんが手がけた図書施設「こども本の森 神戸」も開館。23年に計約4千平方メートルの広大な芝生広場を備えた公園に生まれ変わり、現在は平日、休日を問わず、親子連れがくつろぐ姿が日常となっている。
市民有志として社会実験に取り組み、にぎわい拠点施設の整備にも携わった村上工務店(神戸市兵庫区)の村上豪英社長(52)も節目を祝う式典に参加。「『東遊園地がこんな場所だったら』という市民の思いが形になった。緑に触れながらゆっくり過ごせるこの公園の魅力が、都心全体の魅力につながっていくことを願う」と語った。(井沢泰斗)
























