齊木富子さん
齊木富子さん

 神戸新聞文芸の2024年最優秀賞(年間賞)が決まりました。各部門の受賞作と選評、作者の言葉を紹介します。表彰式は来年1月26日、神戸新聞社で開催予定です。

【俳句】

齊木富子(11月13日掲載)

水田むつみ選

言の葉も手当となりし秋桜

【俳句】

福光百合子(1月15日掲載)

わたなべじゅんこ選

・・だとしても未来を生きる日記買ふ

【詩】

渡辺とよ子(8月21日掲載)

時里二郎選

「私もどき」

【短歌】

森井恵(7月8日掲載)

尾崎まゆみ選

Tシャツで行けるところを夏と呼び夏を広げにTシャツでゆく

【川柳】

あさだ派朗(2月26日、5月27日掲載)

八上桐子選

木枯しに例えるべきか母のなべ

タクトからすべてが海の果てになり

【エッセー・小説】

新谷康陽(1月15日掲載)

三浦暁子選

「ある月曜日の朝」

【ショートエッセー】

三村小稲(9月16日掲載)

三浦暁子選

「事実は小説より奇なり」

■最優秀賞の皆さん 喜びの言葉

〈俳句〉齊木富子さん 神戸市 言葉は心を手当てする

 いつも2人で笑い転げていた幼馴染(なじみ)との付き合いは結婚後も続いていましたが、その友はホスピス病院で最期を迎えました。ホスピス棟のティールームで、心の内を穏やかな笑顔で私に話してくれました。その彼女の笑顔を支えてくれたのが、そばでお世話くださった方たちの明るい言葉でした。彼女を思い出すたび、言葉には心を手当てする大きな力があると思いました。

【選評】水田むつみ 励ましが最高の治療  

 「手当」の措辞から推察して、何処か身体の調子を崩して臥(ふ)せっているのだろうか。入院中なのか自宅療養かは分からないが、心配がないはずはない。少しでも元気で尚(なお)かつ早い快復(かいふく)を求めるのは当然のこと。病院で的確な処置をしてもらっていても、病人にとっては言葉の一つ一つが気になり、不安や心配が消えるものでもない。仮に至急手術を必要とする大病ならばなおさら、出来るだけ安心させてあげるような言葉が必要だろう。

 病人にとって精神状態が不安定な時は何事も悪く考えがちで、様々のことに対して敏感になるもの。医師は勿論(もちろん)、身内や友人、周囲の人からの精神的な励ましが支えになるのは当然の事。だからこそ「言の葉も手当」の措辞のように励ましの言葉が最高の治療なのだ。

 「心配しなくても大丈夫よ」とやさしく言ってもらえるだけで元気になるものだ。「秋桜」の季題がさらに「手当」の優しさを十分に伝えてくれる。

〈俳句〉福光百合子さん 姫路市 優しく素直な気持ちで

 思いがけない受賞に、ただただ驚くばかりです。ありがとうございました。この句で大病と闘っている友人から「元気がでたよ、ありがとう」との電話を頂き、とても嬉(うれ)しかったです。私の投句を見て声をかけてくださったり、メールをくださる皆さまには、いつも感謝しております。これからも、優しく素直な気持ちでの句づくりを心掛けたいと思っております。

【選評】わたなべじゅんこ 日常こそが何より尊い  

 「・・だとしても」。何かが省略されてからの逆接仮定。なにかがあったとしても、「未来を生きる」、それが生きるということ。私たちに課せられた使命。どれほど辛い思いをしても、どれほど悲しい思いをしても、それでも私たちは生きていかねばならない、と。

 新年は能登の地震で明けた。今月、シリアの収容所が解放され、とても信じられないようなひとびとへの仕打ちが明らかになった。そしてこの一年間、やっぱり闘いは続き、哀しい不幸は終わらない。でも、「だとしても」、私たちは前を向く。生きていく。そのための日記を買うのだという、ささやかな日常の抵抗。ペンは銃より強いという。ほんとうだろうか。「だとしても」、日常を奪うことは許さない。

 何かが起こるたび私たちは「だとしても」「だとしても」と奮い立ってゆくのだ。

 そんな日常の大切さを改めて身に刻む一句。日常こそが何より尊く、何より強い。

〈詩〉渡辺とよ子さん 明石市 「私の叫び」が福授かる

 物忘れではなく、記憶が消えたという衝撃のあまり、なり振りかまわず、ムンクならぬ「私の叫び」を投稿してしまいました。厄落としのつもりが何と神戸新聞(神)社から、夢のような福を授かり、「私もどき」と手を取り合って大喜びしています。これを励みに「私もどき」と共存しながらでも、ずっと詩と触れ合っていきたいと思います。本当にありがとうございました。

【選評】時里二郎 歯切れ良い表現力冴え

 今年の最優秀賞は、渡辺とよ子さんの「私もどき」(8月特選)です。誰もが認知症になり得る時代、渡辺さんは認知症に対する恐れや不安から、「私もどき」という生きものを生み出します。そのことが何よりのお手柄です。

 もやもやしたものに新しい名前を付けること。そうやって、見えない心や、分からないものごとを対象化して、とらえやすくすることができるのですね。最終連ではその効果がすぐに現れて、認知症を受けいれながらも、その「私もどき」に注文さえつけることができました。「恐い」認知症が戯画化され、おかしみの対象にまでなっています。

 渡辺さんは、「臨終の時」(1月)、「お店のシャッター裏表」(2月)、「超特急に乗せられて」(10月)、「肩の荷」(11月)、「ゲリラ雨」(12月)が特選。世相の歪(ゆが)みや人生の機微に詩想を得て、軽妙なユーモアを交えながら歯切れ良い表現力が冴(さ)えわたった一年でした。おめでとうございます。

〈短歌〉森井恵さん 明石市 月曜の朝に出会う喜び

 このたびは素晴らしい賞をいただき、ありがとうございます。いつも温かい評で導いてくださった尾崎まゆみ先生に感謝申し上げます。月曜日の朝、朝刊を開けば、歌や詩、物語に出会える場所があることをうれしく思っています。受賞を励みに、これからも短歌を楽しみながら、零(こぼ)れ落ちそうな気持ちや大切な瞬間を見つけていきたいです。本当にありがとうございました。

【選評】尾崎まゆみ 心の動きを大切に描写

全壊の家でおニューの洗濯機壊れしことを叔父は嘆きき 神戸市 松本淳一

気まぐれにみた駅伝の走る音積み重ねていく音、心地よく 神戸市 瑞乃ゆみ

冬服を干すベランダの緑風が身体かけぬけ鯉のぼりになる 神戸市 中村涼子

シュプレヒコールに僕は立っていた場所からゆっくり剥がされてゆく 神戸市 菅澤真央

もうすでにあなたは私のパーツだよ人ってきっと記憶の積み木 西宮市 甲斐直子

彼岸花の白い雄しべに連なった昨夜の雨を揺らす子の指 神戸市 一ノ瀬美郷

微睡てふ佳き日本語を体現す老いびとの身が嬉しくもあり 加東市 藤原 明

 三十年前の記憶や、音の感触を言葉で再現する。冬服と鯉のぼりと風、シュプレヒコール、ふと心が動いた瞬間を捉える。子供の指の存在感、「微睡」の体現を大切に描写するなど、心惹(ひ)かれる作品が多かった。今年は、歌柄と夏の領地を広げた森井恵さんに、最優秀賞を贈りたい。

〈川柳〉あさだ派朗さん 加古川市 賞励みに仲間と続ける

 年の瀬に思いがけない連絡を頂いた。神戸新聞文芸川柳部門の年間賞の内示であった。川柳は加古川西公民館川柳教室、志公大学川柳クラブ、いなみ野学園川柳部、現代川柳かもめ舎などに参加してきたが、大きな賞を頂けるなんて、夢のようである。世の中にはつらいことも多いが、たまにはいいこともあるとみえる。賞を励みに仲間と川柳活動を続けていこうと思っている。

【選評】八上桐子 卓抜した比喩表現秀逸   

 あさださんの今年の入選句を振り返ってみましょう。「お下がりの袖だと判る三センチ」のような伝統川柳的味わいの句から「糸を引くように憲法粘らねば」の時事句まで、幅広い作風の句を詠みこなされています。

 兼題「散る」からは、「行先が決まってからの散る痛み」と、花の散り際に痛みを、また兼題「並ぶ」でも、「東京へおいでおいでに並ぶまい」と、東京の吸引力という、発見、発想のオリジナリティも目を引きました。

 また、「隅っこのコラムに湖沼澄み渡る」の音韻効果。「包んでくれぬ弁当霧が深くなる」のモンタージュ。「薄みどりそれから沼の仲間入り」のイメージなど、多彩な表現技法も用いられています。

 なかでも、卓抜した比喩表現で、二度特選。木枯しに例えられる母のなべからは、寒々とした風音が聴こえるばかりです。タクトから生まれる音楽の壮大さを表した、海の果てというメタファーも秀逸。今年は、二句の年間賞であり、また同時に作家賞としても贈りたいと思います。

〈エッセー・小説〉新谷康陽さん 姫路市 昇降の激しかった一年

 還暦を機に数年ぶりに書いた拙作を本紙に載せていただいたのが今年1月。3月に両目が緑内障と診断され、4月は雹(ひょう)被害で新車がボコボコに。8月に妻の父親が亡くなり、9月は突然見つかった右目の黄斑円孔の手術を受け、その後も見え方の左右差に悩まされ、落ち込む毎日。そこへこのたびの受賞の知らせ。まるで絶叫マシーンに乗っていたような一年でした。

〈ショートエッセー〉三村小稲さん 神戸市 毎月投稿への挑戦結実

 このたびは年間最優秀賞に選出していただき、ありがとうございます。「食べる」こと即(すなわ)ち「生きる」ことであるように、私にとって「書く」ことは「物事を深く考え、より良く生きる」ことです。この一年、投稿作を毎月1本書くと決めていた挑戦の結果、最優秀にお選びいただけたこと、本当に嬉(うれ)しく思います。今後も研鑽(けんさん)を続け、文学への挑戦を続けていきたいと思います。

【選評】三浦暁子 言葉を大事に場面構築

 2024年の最優秀賞を発表します。7枚の部は「ある月曜日の朝」新谷康陽さまへ、3枚の部は「事実は小説より奇なり」三村小稲さまとします。毎回寄せられる小説やエッセーは工夫をこらした力作が多く、選考していると皆様のエネルギーに圧倒され、心身が熱くなっていきます。中でもこの二つの作品は「うーむ、さすがだ」と唸(うな)るものでした。

 新谷さんの作品は書き出しの「ちがうよ」の言葉でまずは心をつかまれました。そして、「『ちがうで』でもなく『ちゃうちゃう』でもない異質の声。」と続く文章がさらに関心をかきたてます。三村さんの作品は悲劇と喜劇が混じり合う様子が見事に描かれていると感じました。泣きながら笑う、笑いながら泣く、人はそうやって生きていくものでしょう。いずれの作品でも、作者は「言葉」を大事にしながら、場面を構築していきます。まさに小さな石を丹念に積みあげて、立派な壁を作るような職人芸を目指しているといえるでしょう。