元禄14(1701)年3月14日、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主であった浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りつける事件が発生する。これにより赤穂浅野家は取り潰(つぶ)しになるが、一方の吉良には何のお咎(とが)めもなかった。
翌元禄15年12月14日、47人の赤穂の浪士たちは江戸の吉良邸に討ち入り、上野介の首を取って主君の恨みを晴らす。これが「忠臣蔵」として世に広く知られる赤穂事件である。
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