私が幼かった頃の神戸の街は、まだ「戦後」を引きずっていた雰囲気があり、昭和45年、10歳くらいになっても「傷痍(しょうい)軍人」を名乗る人が路上で金品を乞うていた。
白装束に軍帽をかぶって、傍らに事情を書いた口上が置かれ、アコーディオンを弾いている人もいた。中には、戦争に行っていたと言うのに随分と若く、年齢が合わないなあと感じたこともあったが、何か考察してはいけない気がして知らぬふりをした記憶がある。
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私が幼かった頃の神戸の街は、まだ「戦後」を引きずっていた雰囲気があり、昭和45年、10歳くらいになっても「傷痍(しょうい)軍人」を名乗る人が路上で金品を乞うていた。
白装束に軍帽をかぶって、傍らに事情を書いた口上が置かれ、アコーディオンを弾いている人もいた。中には、戦争に行っていたと言うのに随分と若く、年齢が合わないなあと感じたこともあったが、何か考察してはいけない気がして知らぬふりをした記憶がある。
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