その日、忠さん=仮名=(66)が、日課のそうじをしないのが、気になった。神戸市北区の仮設住宅に住む主婦(58)は、近所の人と忠さんの部屋をのぞき、亡くなっているのを見つけた。
七月二十六日朝のこと。死亡から一日半が経過しており、死因は心筋こうそく。男ひとりの暮らしとは思えないほど、部屋は片付いていた。
忠さんは中央区の文化住宅で被災した。以前は港湾関係の仕事をしていたらしい。小柄だががっちりした体格で、健康そうだった。ただ、いつも酒のにおいがしていた。
「おいさん、また飲んどんの。昼間から飲んじゃ、あかんやない」。主婦がたしなめると、「わしはこれが飯や。楽しみや」と答えが返ってきた。
洗たくと部屋のそうじは欠かさなかった。食事も自分で作った。あとは買い物に行き、酒を飲んでごろっと寝る。そんな生活の繰り返しだった。
入居間もないころ、収集日以外にごみを出していた忠さんを、注意したことがある。すると、「そうか。火曜と金曜やな」と素直に聞いた。それからは、逆に「はようごみ出せよ。もう車来とうぞ」と教えてくれるようになった。
素顔は気のいい人だった。だが、自分から積極的に話をするタイプではなかった。
自治会長(61)が、ふれあいセンターに誘っても、「人の中に入っていくのはわし、嫌いや」と断った。月一回の自治会主催のバーベキュー大会も、「自分で金出して買える。いらん」。肉を持っていくと礼は言ったが、「もう、持ってこんでええぞ」とクギをさす。
騒ぐわけでもなく、だれに迷惑をかけるわけでもない。飲んでもいつもと変わらなかった。自治会長には「気ままな生活を楽しんだ」と感じられ、”孤独死”のイメージはなかったという。
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「仮設住宅を訪問している保健婦たちも、悩んでいる。お酒をやめるように言っても、すぐにやめてはもらえない。指導の効果がなかなか上がらなくて」
神戸市健康部の宮野佳子主幹も、忠さんのような人たちに対する対応に苦慮している。
しかも、部屋の中でひとり静かに飲み続ける人は、本人から身体症状を訴えない限り、ケアの対象にさえ上がらないことが多い。
神戸市健康増進課の森井俊次・精神保健係長は「酒乱タイプの人は、ほかの住民から苦情が出たりして、行政も把握しやすい。しかし、いわゆる『静かなアルコール』の人は見つけにくい」。
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忠さんは、三、四日に一回、近所の店に酒や弁当を買いに行った。
買うものはいつも同じ。店内で飲むことはなく、礼儀正しかった。店の奥さん(45)には「かわいい感じのおじさん」と映った。
「ひとりはしんどいから、どっかのおばはんでも引っかけようか」
話し好きのようで、ときには軽い冗談も言った。だが、震災体験は話さなかった。「同じ体験をした人が集まると、よけいにみじめになる」と。
亡くなる前日も買い物にやって来て、「こんな所おれんわ。帰りたい」とこぼした。「帰る所あるの」と聞くと、「ないけど帰りたい」と答えた。それが最後。
次の日、奥さんは警察からの電話で、その死を知った。近くに身寄りが見つからず、遺体確認に来てほしいという。「顔色もよかったあの人が…」。信じられないまま、警察署に向かった。
1996/9/9