「アルコール依存の人は、毎日、反省を繰り返して気持ちは変わる。立ち直るには、身を置く環境がとりわけ大きい」
神戸協同病院で依存症の診察にあたる中田陽造医師は、同じ断酒の意欲を持つ人が集まることの効果を指摘する。
調査によると、同病院の患者らで作る断酒会にほぼ毎日出席していた人は三十二人。その全員が、震災後一年の時点でも断酒を続けていた。だが、出席が週二回以下だった五十人のうち、三十九人が再び飲み始めていたという。
喜一さん(58)は、震災でも挫折しなかったひとりだ。自宅が全壊し、体育館へ避難した。避難所では酒を飲む人は多く、「飲ましたろか」という人もいた。コップを口まで持っていった。しかし、断酒会の仲間の顔がよぎり、コップを置いた。
例会が再開されたのは、昨年二月下旬。喜一さんは、仮設住宅に移り住んでからも欠かさず通う。
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約千戸の仮設住宅が立ち並ぶ「東加古川団地」。ひとりで暮らす喜一さんは、自分で食事を作る。
「栄養に気いつけなあかんからな」
この日は、ウナギのかば焼きのパックを開け、モロヘイヤをゆがいて昼食を済ませた。
食器を洗った後、いつもの電車に乗って神戸へ向かう。病院では約二時間の点滴を受けた。
夕方、喜一さんは一角にある地域福祉センターに上がっていった。部屋の中には、年齢もさまざまな男女二十人あまり。机を囲み、酒にまつわる自分の体験を発表する。順番が来て、喜一さんが立った。
「ビルの屋上に上り、飛び降りようとした。そやけど、下見たらびびってしもて。生きることも、死ぬことも、酒をやめることもでけへんかった」
医師に「今度飲んだら死ぬで」と言われながら、退院後、また飲んだ。そんな自分の情けなさを思い知った体験だった。
喜一さんは若いころ、神戸港で荷役作業に就いた。コンテナ化される前で、船底の暑さは何もしないでも汗みどろになる。景気のいい時は朝まで飲んだ。
職場で班長を任されるようになったが、ストレスがたまった。酒の量が増え、四十歳を過ぎて手が震えた。区役所での住民票の手続きで、ミミズがはうような字を書いた。
二日酔いには迎え酒。職場では、若い者が白い目で見る。仕事にやる気をなくし、班長を降ろされた。会社から休職を勧められ、辞めた。それが、四十八歳の時。入退院を繰り返し、断酒会出席を条件に同病院に入った。
今、会の役員になり、机やいすを並べて会場の準備を整える。出席者にお茶を出すこともある。司会をする時には、時間を考えながら、体験談の指名順など進行を考える。
「単調なようやけど、例会の会場づくりや進行を考えてると自分の居場所があるし、生活に張りがある」
同じ目標をもつ人の集まりに加わり、役割もある。酒をやめてから、四年半が過ぎた。
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厚生省の推計では、毎日、純アルコールで百五十ミリリットル(日本酒で五合余り)以上飲む大量飲酒者は、全国で二百三十万人にのぼる。一方で、各地の断酒会の会員は約五万人。匿名参加の自助グループ「AA」も、約二百八十カ所で開かれているが、一回の参加者は各地で数人から数十人という。
全国的にみても、「環境」に身を置く人はまだ少数派にすぎないことをうかがわせる。
1996/9/14