「あんまり飲んだらあかんよ」
シゲさん(51)がテント村の中を歩くと、必ず、だれかから声がかかる。
「飲んでへんよ。寝てる時はな」。冗談で切り返すと、またぶらぶらと周辺を歩き出す。
テント村と仮設住宅が同居する神戸市長田区の公園。シゲさんは、みんなに顔を知られた人だ。廃材を利用して建てた家に、ひとりで暮らしている。
飲んで、寝て、気が向けば外に出る毎日。時々、家の隣にある仮設住宅の自治会本部にやって来ては、会長の田原則夫さん(55)に話しかけたり、犬と遊んだり。子供がやって来ると、「ワンちゃんにかまれたら、危ないよ」と、声をかけたりする。
震災で家を失い、昔からの仕事仲間だった田原さんを頼ってテント村にやってきた。公園には、同郷の徳之島の人も多い。震災後、一度、アルコール依存症の治療で神戸市北区の病院に入ったが、途中で帰ってきた。
「ここは、ええで。地元やし。遠く行って死んでしもた人もおるやろ。わしは酒屋もないようなとこ、よう住まん」
夕暮れ時。テント村のベトナム人が仕事から帰ってくると、「よっ、おかえり!」と、威勢のいい声を出す。「みんなが仲良くやれるように、わしも努力してるねん」。好きなことをしているようで、シゲさんなりにいろいろと気遣いがあるらしい。
「酒も、おいしい思て飲んでるわけちゃうで」
そんな様子を見ていた田原さんが、苦笑しながら「酒ばっかり飲んどるけど、静か過ぎたら『死んどるんちゃうか』と気になるしなぁ。くされ縁やわ」と言う。
シゲさんが「ここがええ」と、こだわる街。ひとり暮らしの男性を包み込むものが、そこにはある。
「酒を飲むところも多いが、小さな食堂とかお好み焼き屋とか、食事を作らない男でも栄養をつける場所がある。『アル中や』と思いながら、周囲の人も気にかけている」と兵庫県立精神保健福祉センターの麻生克郎医師は指摘して、続ける。
「ハード、スピード、都市計画優先の復興が、そんな街の活気を奪い、メンタルへルスに大きく影響しているのではないか」
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十一月、同センターは内科を中心とした開業医や保健婦、福祉関連部署の職員を対象にした研修会を開く。
依存症の人と最初に接するのは、アルコール専門医ではなく、内科の開業医であり、行政の職員であることが多い。その問題点が今回、広く認識されるようになった。震災後に飲み始め、五年、十年後に問題が現れる人々を視野に入れ、「アルコール対策全体の底上げ」を考えているという。
遠回りのようだが、日本ではまだ、ここから始めなければならない現状だ。
「例えば、救援物資として送られた酒は、依存症予備軍を酒にのめり込ませることにもなった。一般的なアルコール対策が日本ではまだまだ遅れている」と、国立療養所久里浜病院の白倉克之副院長はいう。
麻生医師も「アルコール問題はもともと、深刻。生きがいを失い、飲み続ける中年男性に何ができるのか。多くの人が目を向けている今が、対応を考える好機」と指摘した。
酒がつきまとい、孤独死が続く。「男ひとり」が問いかけるものは、被災地に限った問題ではない。
(記事・磯辺康子、石崎 勝伸、加国 徹)=この章おわり=
1996/9/15