「B(ビール)一〇〇日よくがんばった お目出とう」
「今日はビールが飲みたいと思った」
「B NO」
神戸市東灘区の仮設住宅に住む義一さん(69)のメモ帳には、昨年末から続くアルコール依存との闘いが、短い言葉で記されている。
自宅は地震で全壊。一九三四年の室戸台風、四五年の戦災に続き三度目の災難だった。がれきの中から六時間後に救出され、入院した。
「一晩でこんなになるなら、好きな酒を飲めるうちに飲んどかな」
自暴自棄のような生活が始まったのは、退院後から。「このまま死んでしまう」と思った生き埋めの記憶がよみがえり、恐怖に押しつぶされそうになる。仮設生活の先の見えない不安も大きい。そんなとき、ビールは一本ですべてを忘れさせてくれた。
「あんなええ薬はない。あっという間に気が大きくなる」
アルコールが切れると、また不安が首をもたげる。それが怖くてまたビールに手を出す。いつしか朝から一日中飲む悪循環に入り込んでいた。昨年九月には衰弱し、寝たきりのような状態になった。
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母親(90)を訪ねていたボランティアの祥子さん(42)と出会ったのは、その少し前だった。義一さんに、祥子さんは「お酒をやめたら」とは言わなかった。ときには、ビールの相手をすることもあった。
ボランティアに参加する前、カウンセラーグループが開いた講義で「相手の今の状況をそのまま受け入れることが大切」と学んでいた。逆らわず、説教はせず、義一さんの話をうなずいて聞いた。
そうするうちに、いろんな絵を描いた色紙が、棚の上に飾ってあるのに気付いた。
「これだれがかいたん? 今でもかける?」
「私が売れる範囲で売ってあげる」
絵をかく趣味が高じ、約十年前に始めた表具屋が義一さんの仕事だった。矢継ぎ早の質問に、義一さんは「店が壊れ、道具がない」と答えた。早速、色紙や絵の具を買ってきた。絵をかけば、元気を取り戻すような気がした。ただ、無理強いはしなかった。
「最近、かき始めましたよ」。祥子さんがそう聞いたのは、一カ月後。やがて義一さんは酒を断つことを自ら思い立ち、日々の決意や揺れる心をメモ帳に記すようになった。
今、朝・昼・夜に二時間ずつ絵筆を持ち、Tシャツ、はし袋、色紙などに描く。作品は祥子さんがボランティアのルートを通じて東京で販売しているが、ちょっとした人気という。
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「男性の五、六十歳代は高度経済成長を支えた人たちで、仕事以外に無趣味な人が多い。新しい趣味といったことより、過去の仕事を活用する方法を探すことが重要」と、ある精神保健福祉相談員。
酒に走る男性にどう心を開かせるか。そして、どう立ち直ってもらうか。大きなキーワードは「仕事」という。
途中、挫折した期間もあったが、義一さんの断酒はいまも続く。そして、「最近、酒を意識しなくなった」と、断酒メモは日曜日ごとまとめて書く程度になった。代わって、仕事のメモが増えている。
「Tシャツ6枚うれる」(八月十一日)
「おてもと(はし袋)かく 暑さややよし」(九月一日)
「おてもと発送二〇〇枚」(九月四日)
1996/9/13