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(2)揺らぐ定義 根拠あいまいな関連死
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 「震災の記録に、関連死の痕跡ぐらいは残ればいいと思っていたが、まさかこんなに多いとは」

 神戸協同病院の上田耕蔵院長(45)は診療後、プレハブの医局で、驚きを表した。一年前、神戸市長田区の激甚地の真ん中で、次々と運ばれる患者を治療。亡くなっていく人を分析して「震災後関連疾患」という言葉を生んだ。これが後に「震災関連死」として定着する。

 ちょうどそのころ、芦屋市は直接亡くなった犠牲者の弔慰金申請を、市立福祉センターで受け付けていた。市役所などにはまだ大勢の避難者がいた。「震災後に亡くなったのだが」。そんな相談が相次いだ。思いもしないことだった。「直接死以外」としか呼べず、全国初の弔慰金判定委員会を作るきっかけとなった。

 なにしろ前例がないので、すべて市職員が考えた。委員は医師三、弁護士三、行政一の七人で構成した。因果関係案件整理表を作り、死因などをまとめた。遺族から死亡までの経過を便せんなどに書いてもらった。初委員会は三月十八日。二十五件を審査、十二件を交付対象と認めた。まだ、「関連死」という言葉は使っていない。

 委員が頭を悩ませたのは、何を関連死とするのか、つまり基準の問題である。どの人も震災の影響は否定できない。だが、死との因果関係をどこまでみるのか。「一般論ではなく、個別のケースごとに判断していこう」。この合意に沿い、手探りの判定が始まった。

 「関連死認定の明確な根拠はない」。ある判定委員の医師は、匿名を条件に話した。「家の被災程度が違うように、死に至る経過も人それぞれ。基準を設けて一律に判断はできない」

 兵庫県は昨年夏、基準作りを試みている。各市の認めた実例を集めた。だが、一つとして同じケースはなかった。結局、秋ごろ「基準を作ること自体が危険」という結論に達し、断念した。パターンから外れた人が関連死と認められなくなるためだ。

 しかし、基準がないのでは、判定委員会ごとに判断が微妙に違ってこないか、という疑いを残す。

 神戸五百八十七、西宮百四、芦屋三十六。昨年十二月末時点での各市の関連死者数である。全死者に占める割合は約一割。ところが伊丹のその割合は四割を超え、尼崎、宝塚は三割前後、震源地の淡路では、全島でわずか一人。判定委員会の判断が同じなら、各市の割合がこれほどばらついたかどうか。

 判定で重視されるのは、医師の死亡診断書である。「震災のため」と記述されていれば問題はない。が、そんな記述は一割に満たない。

 東神戸病院(神戸市東灘区)は昨年三月、診断書の書き方を議論した。肺炎や心不全など、地震との関連性が高いと思われる病気を中心に、「震災との影響は否定できない」などと書き込む。

 六甲アイランド病院(同)は「あいまいなことは診断書に書くべきではない」とする意見。内藤秀宗副院長は「労災死の基準が決まっているのだから、関連死も決めるべき。どう判断していいか分からない」と話す。

 この一月十六日、伊丹市は新たに三人を震災関連死と発表した。他市でも委員会は随時、持たれている。だがいつまで委員会を開くのか、だれにも分からない。関連死の定義をあいまいにしたまま、難しい判定が続く。

1996/2/7

 

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