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(12)地域ネット 難病患者の孤立教訓に
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 中学教師の前田淳子さん(60)=仮名=は震災後、重症筋無力症が悪化した。足が十分に曲がらなくなり、自宅の狭いふろに入れない。電車で銭湯に通う。

 震災で神戸市内の自宅は全壊し、娘と二人で小学校に避難した。手足など全身の筋力が低下し、足を運ぶのもつらく重いものが持てない。避難生活の半年間、前田さんは病状悪化に悩み、苦しんだ。

 共同作業のトイレ掃除にも参加した。避難所に同じ立場の人がおらず、見た目には病状は分かりにくい。「病気だから」とは言えなかった。

 「周囲も患者団体もよくしてくれたが、精神的につらく、病気を理解してくれる仲間が近くにいたら心強いだろうなと思った」。言葉を選び選び、前田さんは振り返った。

 重症筋無力症は難病特定疾患に指定される。「全国筋無力症友の会」兵庫支部は、地震後の安否確認で前田さんの無事を確認、救援物資を届けた。しかし、会員同士の地域的なつながりが強かったとはいえず、前田さんの生活環境を把握したのは五月末だった。

 この間、前田さんは仮設住宅の抽選に何回も漏れた。神戸市が国や県の定める特定疾患に限って優先の第一順位に加えたのは四月初旬。それから約三カ月後にやっと西区の仮設住宅に当選した。バス停が遠く辞退し、今の公団住宅に入居できたのは八月だった。

 前田さんが、近くに仲間を求めたのは、そんな心細い事情があった。

 筋無力症友の会が属する「兵庫県難病団体連絡協議会」が開設した災害支援センターには、当初、医療関連の問い合わせが最も多かったが、その後、内容は住宅確保や生活環境問題へと比重が移った。

 「患者同士にとどまらず、地域のきめ細かなネットワークがいかに大切かを知った」と話すのは、県難病連常任幹事の石丸雄次郎さん(53)。役員の留守番電話にこんなメッセージが残されていた。

<避難所の学校では、お年寄りは教室に入れたけれど、『自分は肝炎だ』と言い出せず、講堂に取り残された。仮設住宅にも、優先入居できず…>

 声の主は遺族だった。

 難病患者は、病名を明かしにくい。周囲に遠慮も働く。いざというときにこそ、地域や患者仲間との強固なつながりが必要だった。

 患者の事情は少し異なるが、人工透析の場合も状況は似ていた。

 県透析医会はこの春から県内の約三十の透析医療機関をパソコンで結んで情報交換を始める。震災で多くの病院が被災したが、患者にうまく対応できなかった反省の意味もあった。

 神戸市東灘区の住吉川病院の調査では、直接死以外に震災後十カ月間に亡くなった透析患者は、例年の三・四倍、二十五人を数えた。坂井瑠実院長は「透析患者は動脈硬化を起こしやすい。震災や遠距離通院のストレスが重なり、脳卒中や心筋こうそくなどの病気を引き起こさせてしまった」と話す。

 「病院同士の連携があれば」。透析病院を探している間に母を亡くした神戸市東灘区の女性(38)は悔しがった。

 週三回、人工透析に通った病院が地震で使えず、医師は他の透析病院の被災状況が把握できずにうまく転院できなかった。避難先の近くで探し当てた時には、体調は悪化しており、四月末、脳出血で亡くなった。

 教訓を糧に石丸さんは、地域の人たちとも手をつなぐ患者の会を結成した。取り残された患者たちの無念の思いを晴らしたいと。

1996/2/18
 

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