中学2年の体育大会に向けて意気込む息子に、山本春名さん(52)は不安を募らせていた。クラス対抗の大縄跳びに出場するという。2017年のことだ。
「一人の縄跳びもろくにできないのに、みんなに迷惑をかけるんじゃ…」
幹太(かんた)さん(22)には自閉スペクトラム症と知的障害がある。その特性上、決まった習慣や行動へのこだわりが強く、学校行事は大の苦手だ。いつもと違う周囲の行動や大きな音などがパニックの可能性を高めてしまう。
特に運動会は難関だった。保育園や小学校では、お気に入りのキャラクターの絵が待つ専用のゴールを用意してもらうなど、周囲の協力と工夫で乗り越えた。
だが、幹太さんは中学1年の時、二人三脚で派手に転倒した上、走り抜いた後、パニックを起こして号泣した。だから、息子が二度と体育大会に参加しない可能性すらあると思っていた。
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クラスメートの印象は違った。
「(中学2年の)あの体育大会はよく覚えています。クラス全体で大縄をやりたいなという思いがあって」。幹太さんと同じクラスだった永井洋介さん(22)が振り返る。
幹太さんは大縄跳び初挑戦。本番に向けた練習では、「嫌や」とこぼすこともあった。「2人で手をつないだら?」。先生からの指示だったのか、今では覚えていない。永井さんは一人、みんなと反対の方向を向いて幹太さんと両手をつないで跳ぶことになった。
「全然抵抗はなかった。幹太君も頑張っていたし」。幹太さんたちの地元は、丹波市でも人口の少ない地域。保育園から中学校までずっと同じクラスだった。
「ずっと一緒なので、幹太君がパニックを起こすのも含めて当たり前。困っていたら助けるだけです」
小学2年の運動会の時、ピストルの音が怖くてたまらない幹太さんの耳を後ろからそっとふさいであげたのも、永井さんだった。
幹太さんも中1の体育大会から成長していた。練習で転んでも諦めず、どう備えるかを自分で考え、脚を守るために長ズボンをはくことを思いついた。
迎えた当日。軽やかに跳ねる生徒の列の中央で、永井さんの手を握って高くジャンプする幹太さんの姿があった。一人だけ長ズボンだったが、気にする人はいなかった。
その光景を、春名さんは「この仲間たちの中にいる時は、幹太の障害はなくなったんです」とうれしそうに懐かしむ。
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幹太さんは中学から特別支援学校に進み、卒業後は就労支援事業所に通う。一方の永井さんは高校を出て看護専門学校に進学。25年春から丹波市内で看護師をしている。
中学卒業後、2人に接点はほとんどなかったが、看護専門学校の実習の受け入れ先が偶然、幹太さんの通う事業所だった。再会の記念写真は、向き合って手をつなぎ、あのときの縄跳びを再現したポーズで撮った。
「昔から僕も幹太君も自然体。助けすぎないし、頼りすぎない」と永井さんは言う。縄跳びのように肩肘張らず、軽やかな支え合いの形。「患者さんともそういう関係を築いていきたい」
(那谷享平)
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