2005年に起きた尼崎JR脱線事故で、JR西日本が事故車両を保存する施設が大阪府吹田市に完成し12日、希望する遺族や負傷者らへの案内が始まった。原則非公開で、破損部品を含め7両編成全体を配置。初日は20組37人が訪れた。
保存施設が整備されたのはJR西社員研修センターの隣接地。地上1階、地下1階建て、延べ床面積約3900平方メートルで、事故車両は地上階に置かれた。
1~4両目は事故の衝撃や救助活動などで損傷し復元が困難なため、車両ごとに座席やつり革、屋根などを整理し、できるだけ元の位置に合わせて並べた。原形をとどめる5~7両目は連結した状態で配置する。
地下1階は事故現場を再現。レールや枕木、電柱などを保存し、車両が衝突したマンションの一部などの状況を実寸大で置いた。当時の写真を大型スクリーンで映し、遺族や救助関係者による手記なども並び、来年から社員らが事故を胸に刻む場としても使われる。(岩崎昂志、若林幹夫)
【尼崎JR脱線事故】 2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し線路脇のマンションに激突、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の歴代4社長が業務上過失致死傷罪に問われたが、いずれも無罪判決が確定した。ミスをした乗務員に対する懲罰的な教育などJR西の企業体質が事故原因の背景にあると指摘された。
























