B29の編隊が焼夷(しょうい)弾、中小爆弾を落下させ、神戸の街は焦土と化した=1945(昭和20)年6月5日、神戸、諏訪山から写真家・故中山岩太氏撮影
B29の編隊が焼夷(しょうい)弾、中小爆弾を落下させ、神戸の街は焦土と化した=1945(昭和20)年6月5日、神戸、諏訪山から写真家・故中山岩太氏撮影

 沖縄、広島から神戸へ。終戦から80年が過ぎる中、戦没者らの追悼に一人一人の名前を読み上げる取り組みが広がっている。来年6月に「神戸空襲死者のお名前を読む集い」が神戸で開かれることが決まった。空襲死者として判明している2267人の名前を一人ずつ声に出す。主催する「神戸空襲を記録する会」は「できるだけ多くの人に読んでもらいたい」とボランティアも募集する。(高田康夫)

 同会は1971年に発足。78年に犠牲者名簿の作成を始め、2011年からは神戸市も情報収集に協力している。13年に大倉山公園(同市中央区)に「いのちと平和の碑」が建立され、空襲死者1752人の名前が刻まれた。その後も追加され、24年時点で2267人になった。

 2年に1度、碑の前で開く刻銘追加式では、追加される名前を読み上げる。ただ、最初に刻まれた1752人は一度も名前を声に出さないままで、同会事務局長の小城智子さん(73)は「何とかしたい」と思い続けてきたという。

 そんな中、ロシアがウクライナに侵攻した22年、沖縄県の平和祈念公園にある石碑「平和の礎(いしじ)」に刻まれた戦没者24万2567人(6月時点)の名前を読み上げる取り組みが始まった。一人一人の命の重さを実感する追悼は共感を呼び、今年8月6日に原爆被爆80年を迎えた広島でも、名前が分かっていながら遺族が判明していない原爆死没者812人の名前が読み上げられた。

 神戸空襲の死者は8千人を超えると言われるが、来年追加されるのは、現時点で20人(1人は匿名希望)にとどまる。届け出が減る一方で、今も空襲死者の名前を刻んでいる同会の取り組みを知らない人も多い。周知が課題になる中、来年6月6日に初の「空襲死者のお名前を読む集い」を神戸市兵庫区の薬仙寺で開くことになった。

 「沖縄などでも同じ思いでやってらっしゃる人がいることを知った」と小城さん。「一人一人の生きた証しを忘れないように取り組みたい」と思いを語る。

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 集いを前に、同会は今月14日午後1時半~同4時半、あすてっぷKOBE(神戸市中央区橘通3)で、戦後80年企画「『空襲死者』の名前を集めるということ」を開催し、その日から名前を読み上げるボランティアを募集する。

 神戸新聞記者時代に神戸空襲の取材を重ねてきた琉球新報記者の宮沢之祐さんや、「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」実行委員長の町田直美さん、空襲の調査研究に取り組んできた神戸大の佐々木和子さんらが登壇予定。俳優まつむら眞弓さんによる空襲体験記の朗読なども予定する。資料代500円。同会TEL078・891・3018

【神戸空襲】1945(昭和20)年、米軍B29爆撃機による無差別爆撃が本格化。東京や大阪に続き、3月17日には神戸市西部が壊滅状態になった。5月11日や6月5日にも大規模な空襲があり、市街全域が焼け野原となった。空襲は終戦間際まで続き、犠牲者は8千人以上とされるが、正確な人数などは分かっていない。