「後世に引き継ぐべき記録を多数失わせてしまったことを深く反省する」。今年5月、最高裁が一連の裁判記録廃棄問題の責任を認めて謝罪した。報道の端緒となったのが、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件だ。当時14歳の少年が起こし、少年法改正の契機にもなった日本の事件史に残る重要な「記録」は、もう戻ってこない。ただ、人の「記憶」は辛うじて残っている。事件が文字通り歴史になる前に、さまざまな関係者の証言などを基に、26年前の捜査を振り返る。
1997年6月1日。一戸建てが整然と並ぶ神戸市須磨区の住宅街は、そこかしこに記者の姿があった。通りがかった住民に捜査員が声をかければ、直後、記者が一斉に取り囲み、「警察に何を聞かれたんですか」と尋ねる。
そんな繰り返しに、聞き込み担当の一員だった30代の警部補は参っていた。ペアを組む1回り年長の巡査部長とともに、愚痴がこぼれる。
「こんだけマスコミがおったら、じっくり話も聞けへんですねえ…」
閑静な住宅街に記者が大挙してやってきた理由は、5日前にさかのぼる。
5月27日朝、地域内にある中学校の校門で、男児の遺体の一部が見つかり、社会を震撼(しんかん)させた。3月には、女児が何者かに金づちで殴られて殺害される事件も起きており、兵庫県警須磨署には二つ目となる殺人容疑の捜査本部が置かれた。
過熱する報道機関の取材を肌で感じた警部補と巡査部長。所在なく住宅街を歩いていると、中学生ぐらいの少年が乗った自転車が通り過ぎていった。
2人は、顔を見合わせた。捜査本部から「触るな(職務質問をするな)」との指示が出ていた少年だった。その詳しい理由を2人は聞かされていなかったが、捜査本部は、少年が動物を虐待した過去があり、事件との関与が疑われる一人としてひそかにマークしていた。
しばらくすると、少年が戻ってきた。巡査部長が、いたずらっぽく警部補をけしかける。「職質(職務質問)しましょうよ。ええでしょう、行きましょうよ」
返答を待たず、巡査部長が少年の方へ向かっていく。戸惑いながら、警部補が追いかける。少年は自転車を止め、職務質問に素直に応じた。
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少年は、雄弁だった。
「(男児の遺体に置かれていた)手紙の全文を新聞やテレビで知った」「『スクール』のつづりが間違っていたり、あまり使わないような言葉が書いてあったりした。学校や警察に恨みがあると思う」
ところどころにうそを織り交ぜながら、少年は、事件に対する独自の見解を披露していく。2人は、薄気味悪さを感じながらも聞き役に徹し、あえて何も知らないふりをして大げさに相づちを打った。
警部補が、ふと視線を落とした。少年の靴に、血痕のようなしみが付いている。街頭での職務質問は約30分に及んだが、なぜか、記者が寄ってくることはなかったという。
3日後の6月4日、少年が投函(とうかん)し、後に「犯行声明」と呼ばれる封書が神戸新聞社に届く。差出人は、酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)。便箋を埋め尽くした赤い文字列の「最後に一言」に、こんなくだりがあった。
「今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである」
「警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ」