「野菜や素材へのこだわりが商品力の源泉」と語るロック・フィールドの古塚孝志社長=神戸市東灘区魚崎浜町(撮影・中西幸大)
「野菜や素材へのこだわりが商品力の源泉」と語るロック・フィールドの古塚孝志社長=神戸市東灘区魚崎浜町(撮影・中西幸大)

 百貨店の地下食品売り場などで総菜を買って帰り、家で食べる「中食」。デリカテッセンと呼ばれる欧州の食のスタイルを日本に持ち込み、根付かせてきたのが、総菜メーカーのロック・フィールド(神戸市東灘区)だ。業界のトップ企業を率いるのは、入社以来、生産畑を歩んできた古塚孝志社長(57)。主力ブランド「RF1」を中心に、消費者目線で愚直においしさや価値を追求し続ける。

 一言で総菜と言っても、サラダを中心に、肉や魚介、スープと幅広い。当然追求を続けるべきおいしさや見た目の美しさ、そして産地へのこだわりだけでなく、素材の背景にある生産者や食文化などのストーリーを重要視しています。扱う農畜水産物は多岐にわたり、季節ごとの商品の入れ替えも大切。シンプルなポテトサラダに始まり、これもサラダなの?と言われるような商品まで、絶えず進化させています。

 総菜を買って、便利だけどあんまりおいしくないね、ということがあったかもしれません。でも、われわれはお客さまに代わって調理するので、だし一つでも基本に忠実に、手の込んだ家庭の味を再現します。どんな素材や製法にこだわり工夫して作ったか、メニュー一つ一つを語れます。

 大学時代は多種多様なアルバイトを経験した。食品業界を目指すきっかけも食品工場でのバイトだった。

 引っ越しからスポーツ用品店の販売員まで15業種くらい、多くのバイトをしました。とにかくいろいろ体験してみたくて。その一つが食品工場での冷凍野菜の製造。店頭に並ぶ商品を見て、「あ、僕がやったやつや」って。うれしかった。

 やっぱり食べ物は身近だし、お客さんが直接手に取ってくれる。面白いなと。それで、就職はこの業界に決めました。でも大学は電子系の工学部。入学前は興味があり自分に合っているからと選んだのですが、食品会社からは、理系は要らないと落とされました。実際、周囲はソフト開発の会社などに行く人が多かった。そんなとき、大学で薦められたのがロック・フィールドでした。

 1988年に入社。生産工場に配属され、サラダ担当になった。

 初めは戸惑いました。工場といえば、大きな鍋で作るイメージ。でも実際には、職人さんが一人一人、厨房(ちゅうぼう)で料理しているんです。

 研修では料理の基礎から教えられ、工場というよりレストランの見習いに来た感じでした。調理は慣れていなかったのでちんぷんかんぷん。サラダでよかったと当時はほっとしました。

 でも、調理器具の扱い方や衛生面で注意すべきことなど基本を教われたのは、いい経験でした。配属されたサラダのラインは、例えばジャガイモを炒めたり揚げたり蒸したり、比較的工場らしい作業でした。

 入社から3年、91年春に、サラダなどの主力生産拠点「静岡ファクトリー」の開設メンバーに選ばれた。

 関東に工場ができ、どうやらそこにサラダの製造が全部移るらしいという話が広がって。誰が行くのかなと思っていたら、工場長に呼ばれ、「行ってくれるか」と告げられました。

 「どれくらいですか?」「半年か1年くらい」「じゃあ行きます」と。結局、それから延べ20年くらい、いることになりました。(聞き手・赤松沙和)

     ◇

 時代を駆ける経営者はどんな道を歩み、未来をどう切り開くのか、それぞれの歴史や戦略を紹介するマイストーリー。2人目は、ロック・フィールドを創業者から引き継いだ生え抜きのトップ、古塚孝志社長に4回にわたり語ってもらう。

【ロック・フィールド】1972(昭和47)年設立。社名は創業者岩田弘三氏の姓を英語で表現した。百貨店を中心に持ち帰り総菜を展開。現在「RF1」「神戸コロッケ」などのブランドで全国に総菜店300店以上を構える。2022年4月期の売上高は471億1900万円。東証プライム上場。今年6月8日で創業50年を迎えた。

【ふるつか・たかし】1965年西宮市生まれ。大阪電気通信大工学部卒。88年ロック・フィールド入社。執行役員静岡ファクトリーマネージャーなどを経て2014年社長就任。その後、16年専務、17年副社長となり、18年7月に再び社長。学生時代に甲子園球場の観客席での販売のアルバイトで、売り上げ1位になったことも。