神戸出身ということもあり、映画「『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち」に関する取材を受ける中で「阪神・淡路大震災の被災体験は映画制作でどのように影響していますか」と聞かれることがあります。当時、垂水区に住み、西区の工業団地内の工場でトラック運転手をしていました。実家も職場も震源地の淡路島に近い地域ですが、被害はほとんどありませんでした。そのため、本作の制作で、阪神・淡路の体験を意識することはほとんどありませんでした。
それよりも、TVディレクターとして阪神・淡路を取材した経験が大きな影響を与えています。私は1997年からテレビ朝日「サンデープロジェクト」のスタッフとして仕事をするようになりました。サンデープロジェクトは大阪の朝日放送との共同制作番組で、ジャーナリストの大谷昭宏さんがリポーターとして取材していることもあり、阪神・淡路の特集報道に力を入れていました。私も取材班の一員となり、大谷さんと共に取材を続けていました。
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