東日本大震災の翌年(2012年)、総勢15人のグループで宮城県南三陸町を目指した。
7月13日午後7時40分、マイクロバスでJR神戸駅前を出発し、約15時間後に登米(とめ)市に到着。南三陸町で語り部の話を聞き、報道でも目に焼きついている防災庁舎へ。黙祷(もくとう)…。農園の草取りなどを手伝い、その後、町内を巡ると津波の恐しさが残ったまんまだった。
この記事は会員限定です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。
東日本大震災の翌年(2012年)、総勢15人のグループで宮城県南三陸町を目指した。
7月13日午後7時40分、マイクロバスでJR神戸駅前を出発し、約15時間後に登米(とめ)市に到着。南三陸町で語り部の話を聞き、報道でも目に焼きついている防災庁舎へ。黙祷(もくとう)…。農園の草取りなどを手伝い、その後、町内を巡ると津波の恐しさが残ったまんまだった。
この記事は会員限定です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。