ハイキングコースを歩いていると「順路」とあって進む道が一応決まっているようではあるが、時に脇道があり、そっちには何か面白い所があるのではと思うことがある。私は、そんな脇道につい入ってみたくなるタイプである。
1980年35歳の時、京大の助教授であった私は、学部・大学院を卒業した後、さらに同じ大学で助手・助教授と進むという、まさに日本の典型的な大学教授への順路にいた。そんな時米国のカーネギーメロン大学から誘いを受けた。当時、米国と日本では情報工学のレベルに格段の差があったから、日本だけで教育を受けた私が通用するか大いに不明で、京大を退職して家族ともども渡米するのは、「すごい決心ですね」という人もいたが、私の気持ちでは見えた脇道にちょっと行ってみるかという位のことであったように思う。
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