「生かして福岡に連れて行きます」。昨年4月、熊本県合志市の宮〓花梨(かりん)ちゃん=当時(4)=の両親に、医師らは約束した。
入院していた熊本市民病院(同市東区)が熊本地震で被災し、福岡市内に転院することになった花梨ちゃん。搬送には同病院や転院先の医師のほか、病院の支援に入った災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員も加わっていた。
DMATは、全国の医師や看護師らで構成し、災害時、真っ先に現場に駆け付け治療に当たる。阪神・淡路大震災の発生直後、被災地の病院に患者が殺到し、倒壊家屋の下敷きになるなどした重傷者に十分対応できなかった教訓から、国が発足させた。
通常の医療体制なら救えた可能性が高い死は、医療界で「防ぎ得た災害死」と呼ばれ、阪神・淡路大震災では500人に上ると推計されていた。
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2011年の東日本大震災。約1500人のDMAT隊員が派遣されたが、津波にのまれるかどうかによって生死が分かれた被災地では、阪神・淡路大震災と違って外傷患者は少なかった。
隊員も参加した厚生労働省研究班は、岩手、宮城両県の主要な40病院で、発災後3週間以内の死亡例を、防ぎ得た災害死に当たるかどうか調べた。岩手で174人中41人、宮城では868人中102人が該当した。
原因の多くは、外傷患者への不十分な対応ではなく、劣悪な避難環境、病院の停電や断水による医療機器の停止などで、自治体が認定する「震災関連死」と重なった。
調査した岩手医大の眞瀬智彦教授は「避難所などで、もっと早く医療を提供することが必要だ」と話した。
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その反省を踏まえた熊本地震では、約2千人のDMAT隊員が派遣され、避難所や被災集落にも入った。被災病院からは1400人以上の患者を運び、途上での死を防いだ。他機関と連携し、時間が経過した後の医療提供につなげた。
だが、花梨ちゃんは確かに生きて転院先に着いたものの、5日後に死亡。花梨ちゃんを含め、熊本では既に計123人が関連死に認定されている。
神戸新聞社の取材では、うち少なくとも40人は発災後3週間を超えてから死亡し、東日本大震災の時と同じ条件による調査では医療側からの防ぎ得た災害死に当てはまらない。長引く避難生活で持病のある人や高齢者らが命を落とす中、医療だけでは命を守れない現状が浮かび上がる。
「直後に助かっても、その後に亡くなれば元も子もない。DMATだけで済む話ではない」。DMAT隊員を養成する兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)の中山伸一センター長はそう指摘し、続ける。
「避難環境や経済的な困難、心の問題など、さまざまな支援に長期的に取り組まなければ、本当の意味での防ぎ得た死はなくならない」
(高田康夫、阿部江利)
※〓は「崎」の「大」が「立」
2017/1/15