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震災関連死と認定された宮〓花梨ちゃん。心臓病で酸素吸入器が手放せなかった(遺族提供) 花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった
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震災関連死と認定された宮〓花梨ちゃん。心臓病で酸素吸入器が手放せなかった(遺族提供)

花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった

  • 震災関連死と認定された宮〓花梨ちゃん。心臓病で酸素吸入器が手放せなかった(遺族提供)
  • 花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった

震災関連死と認定された宮〓花梨ちゃん。心臓病で酸素吸入器が手放せなかった(遺族提供) 花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった

震災関連死と認定された宮〓花梨ちゃん。心臓病で酸素吸入器が手放せなかった(遺族提供)

花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった

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  • 花梨ちゃんが描いた自分や両親の似顔絵。ベッドの上でのお絵描きが日課だった

 血圧が下がっていくまな娘に、母親(37)は声を掛け続けた。「幼稚園、行こうね」。父親(37)や祖父母らも寄り添った。

 昨年4月、福岡市内の病院で小さな命が失われた。4歳5カ月。回復後の幼稚園入園を楽しみにしていた。熊本県合志市の宮〓花梨(かりん)ちゃん=当時(4)。心臓に先天性の病気があり、度重なる手術を乗り越えてきた。昨年1月に受けた3度目の手術後に肺炎にかかり、熊本市民病院(同市東区)の集中治療室(ICU)で闘病中だった。強い薬の影響で体は弱っていたが、回復の兆しも見えていた。

 そこに熊本地震が襲った。震度6強の本震で病棟の壁にひびが入り、患者は転院先や避難所に移されていく。動かせない状態の花梨ちゃんは取り残された。

 病院側は「移動中に命を落とすかもしれない」と説明した上で、転院への同意を求めた。両親は一度は拒否したが、余震のたびに看護師らがベッドに覆いかぶさって花梨ちゃんを守る状況に、決断せざるを得なかった。治療機器を取り外し、福岡の受け入れ先まで車で約2時間。たどり着いたが、5日後に力尽きた。

 約4カ月後、その死は「震災関連死」と認められた。だが「治療が続けられてさえいれば」と、両親の無念は尽きない。

     ■

 同じ思いを22年間、抱える親たちがいる。

 昨年12月、阪神・淡路大震災の犠牲者の銘板が並ぶ「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)。「古賀歩未(あゆみ)」と娘の名が刻まれた銘板を、母親(48)は何度もなでた。今も追加で掲示できることを知り、「生きた証しに」と申し込んだ。

 明石市に住んでいた歩未ちゃん=当時(3)=は1995年1月、心臓と肺の病気で当時の神戸市立中央市民病院(同市中央区)に入院中だった。だが、震災で酸素吸入もできなくなって自宅に戻り、体調が悪化。再入院したが、震災約2カ月後に亡くなった。

 神戸市兵庫区の末広絵梨奈(えりな)さん=当時(10)=は、震災約2週間後に命を落とした。自宅は半壊。重い知的、身体障害がある中、車中泊や知人宅などを転々とする生活を強いられ、風邪をひいた。

 かかりつけの中央市民病院は、途中の橋が震災で不通になって行けなかった。近くにある当時の市立西市民病院(同市長田区)も本館が全壊。避難先の大阪で受診したが、手遅れだった。

 22年後の今、絵梨奈さんの両親はショックを隠せない。「熊本で同じことが繰り返されている」

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 震災による治療中断や避難生活での体調悪化などが原因となる関連死の概念は、阪神・淡路大震災で生まれた。兵庫県内で919人が認定され、昨年末時点の集計では東日本大震災で3472人、熊本地震でも123人と、地震の直接被害を免れた命が失われ続ける。どうすれば防げるのか。改めて問いたい。

(高田康夫、阿部江利)

【病院耐震化一刻も早く「悲しみ、繰り返さないで」】

 阪神・淡路大震災で相次いだ悲劇が、今も起き続けている。昨年4月の熊本地震で「震災関連死」と認定された熊本県合志市の宮〓花梨(かりん)ちゃん=当時(4)=は、闘病していた病院の被災で転院を迫られ、命を落とした。両親は言葉にできない悲しみの中、「同じ思いをする人が二度と出ないように」と声を絞り出し、全国の病院で耐震化が進むよう訴える。

 花梨ちゃんは生後4日で重い心臓病と分かり、呼吸を楽にするため2歳から酸素吸入が欠かせなくなった。幼稚園には通えていなかったが、昨年1月に3度目の手術を受け、退院後は年中組に入園できる予定だった。入院前には覚えたての平仮名で「まっててね」と家族に手紙をくれた。

 長引く入院生活の中、回復の兆しが見え始め、「やっと元気になれる」と周囲も期待していた時に地震は起きた。病院に駆け付けた両親は、信じられない光景を目にした。天井が落ち、壁にひびが入った院内。無菌状態に保たれるはずの集中治療室は入り口が全開で、患者のいないがらんとした室内に、何十人もの医師や看護師に囲まれた花梨ちゃんだけが残されていた。

 福岡市内への転院直後から、病状は急激に悪くなった。家族は回復を信じ、眠り続ける花梨ちゃんに5日間、声を掛け続けた。「幼稚園に行こうよ」「誕生日には遊園地に行こう」「大好きな牧場や水族館にも行こう」「公園でもいっぱい遊ぼう」「そっちに行っちゃだめだよ」-。

 懸命に病気と闘っていた花梨ちゃんの未来は、なぜ突然閉ざされたのか。転院が命取りになるかもしれないと伝えられながら、望みを託して承諾するという苦しい決断を、家族はなぜ迫られたのか。

 父親は「言葉にするには、まだつらい」と声を詰まらせる。日がたつほどに、花梨ちゃんの姉(7)を含め4人家族が3人しかいない悲しみが増す。もし病院が耐震化されていれば。転院せずに済んでいれば。母親は「あの場にいた者として、死を無駄にしないためにも、一生訴えていくべきだと思っている」と涙する。(阿部江利)

※〓は「崎」の「大」が「立」

2017/1/13
 

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