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(8)中央防災会議(下) (8)中央防災会議(下) 備えのレール地方に制約
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最大で高さ8メートルの津波を独自に想定した「名取市津波防災マニュアル」。その後の市の防災計画に反映されることはなかった
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最大で高さ8メートルの津波を独自に想定した「名取市津波防災マニュアル」。その後の市の防災計画に反映されることはなかった

最大で高さ8メートルの津波を独自に想定した「名取市津波防災マニュアル」。その後の市の防災計画に反映されることはなかった

最大で高さ8メートルの津波を独自に想定した「名取市津波防災マニュアル」。その後の市の防災計画に反映されることはなかった

 2006年2月17日。中央防災会議は、東北地方太平洋沖などで想定される地震被害について当時の小泉純一郎首相に答申した。2年3カ月、17回を数えた専門調査会の会合で「繰り返し性」が確認されない地震は検討対象外とされた。答申は災害対策基本法に基づいて県、市町の地域防災計画に反映されていく。

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 07年11月2日。仙台市若林区役所6階ホールで、七郷地区町内会連合会長だった大場光昭(82)は小躍りする気分だった。市長だった梅原克彦(57)が「大変いいアイデアを頂戴しましたので、早急に検討します」と応じたからだ。

 宮城県沿岸部の仙台平野は高台が少ない。3カ月余り前、過去の記録よりかなり内陸部で約2千年前の地層から津波跡が見つかり、住民に不安がよぎった。大場は進行中だった地下鉄工事の残土に目を付け、避難用の高台3基を造ることを梅原に要望した。

 梅原は、市民と防災を語り合う集会で150人を前に発言していた。だがその後、建設は実現せず、大場は詳しい理由を知らされていない。

 神戸新聞社が入手したメモに、集会の1カ月後、市幹部が区役所職員との電話で話した言葉が記されていた。

 「(国が想定した)宮城県沖地震以上の大津波はいつか来るかもしれないが、心配してもきりが無い(略)」

 大場らは市の動きが見えず、別の策を講じる。10年5~6月、1万4300人の署名を集め、高速道路の土手に上れるよう「東日本道路会社 仙台管理事務所」に陳情する。だが「安全上、難しい」との反応だった。管理担当課長の神田康弘(38)は「避難場所の設置は行政の仕事じゃないかと感じていた」とする。

 陳情から1年足らず。津波が仙台平野を奥へ奥へと進む。200人以上が高速道路上に避難して助かった。

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 仙台市の南隣、名取市。

 2001年2月、市長だった故・石川次夫の指示で「津波防災マニュアル」が発行される。後の中央防災会議で「留意事項」にとどまる869年の「貞観地震」を取り上げ、想定津波高は最大8メートル。海岸線から約5キロ内陸まで浸水するとの地図を示した。「繰り返し性」にはこだわらず、最新の研究成果を全面的に踏まえていた。

 だが、7年後の08年2月、中央防災会議の想定を受け、市が策定した防災計画の想定津波高は、2・6メートルと大幅に引き下げられた。独自の想定が振り返られることはなく、過去のものとなっていた。

 市防災安全課の佐藤浩(42)は悔やむ。「マニュアルが生きていれば、間違いなく被害は減ったと思うんです」

 災害対策基本法にはこうある。「都道府県の防災計画は国の防災業務計画に、市町村の防災計画は都道府県の防災計画に抵触するものであってはならない」

 要するに、地方自治体は上級官庁の敷いた防災のレールに沿って進むしかなかった。

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 東日本大震災で気象庁が公表した津波高と中央防災会議の想定を比べる。

 青森県八戸市6・2メートル(最大想定9・13メートル)▽岩手県大船渡市16・7メートル(同21・84メートル)▽仙台市7・2メートル(同4・57メートル)▽福島県相馬市8・9メートル(同4・19メートル)▽茨城県北茨城市6・9メートル(同3・29メートル)-。

 専門調査会の一部委員が警告を発した通り、仙台平野以南での格差が際立っていた。(敬称略)

2012/1/22
 

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