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無念 尽きぬ「なぜ」 あの日から10年 「区切り まだつけられない」
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暗闇の中に浮かび上がった「1・17」。降りしきる雨の中、たくさんの傘の花が灯を包んだ=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地
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暗闇の中に浮かび上がった「1・17」。降りしきる雨の中、たくさんの傘の花が灯を包んだ=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地

暗闇の中に浮かび上がった「1・17」。降りしきる雨の中、たくさんの傘の花が灯を包んだ=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地

暗闇の中に浮かび上がった「1・17」。降りしきる雨の中、たくさんの傘の花が灯を包んだ=17日午前5時46分、神戸市中央区、東遊園地

 亡き人々の十年分の涙が、空から落ちてきた。十七日午前五時四十六分。祈りの静寂が満ちる。雨音が響く。六千四百三十三人の命を奪った阪神・淡路大震災から、十年の時が巡る。一人の部屋でじっと目を閉じた人がいた。慰霊碑に刻まれた家族の名に初めて触れた人がいた。焼けた街で。地滑りが襲った場所で。ろうそくの灯が揺れる公園で。「区切りをつけたい。でもつけられない」。言葉が嗚咽(おえつ)に変わる。夜が明けて虹がかかった。「忘れないで」。空の向こうから声が届いた。

 神戸市長田区御蔵通の御蔵北公園。午前五時、住民らが千本のろうそくに灯をともし始めた。浮かび上がる「1・17 みすが」の文字。公園周辺の「御菅地区」は大火に見舞われ、百二十八人が亡くなった。

 雨で消えたろうそくに火をつけていた玉山澄子さん(84)=同区御蔵通=は、震災で二女を亡くした。「娘のことは忘れない。十年たっても、二十年たっても…」

 四十七人が犠牲になった神戸市須磨区の千歳地区では、被害を後世に伝えるモニュメント「千歳復興の礎」が除幕された。この街もあの日、焼け尽くされた。復興土地区画整理事業は完了に近づくが、人の姿は戻らない。「復興」は遠い。

 自宅と工場が全焼し、帰省中だった二男の秀光(スグアン)さん=当時(20)=を亡くした崔敏夫(チエミンブ)さん(63)=同区千歳町=は「今でも亡くなったのが信じられない。ひょっこりと帰ってきそうで…」。あの朝を思い起こすように、一言一言を絞り出した。

 神戸・三宮の東遊園地。昨年より千人多い約五千人が訪れた。十年で初めてこの場に来た人も目立った。

 「胸がいっぱいで、これまではとても来ることができなかった」。尼崎市の岡田益美さん(65)は、神戸市灘区に住んでいた亡き母親=当時(80)=への思いを胸に、初めてこの日を神戸で迎える決心がついた。

 母は自宅が全壊。避難所で風邪をこじらせて肺炎になり、入院先で亡くなった。「『寒い、寒い』と訴える母に、カイロを手渡すくらいしかできなかった」。目が潤んだ。

 地滑りで三十四人が犠牲になった西宮市の仁川地区では、丘の上の公園に三十人以上の住民が集まった。暗闇に川のせせらぎが響く。慰霊碑の前は花束で彩られた。住民がハーモニカで「おぼろ月夜」を奏でた。

 毎年、地震があった時刻に慰霊碑の前で手を合わせる南口多喜子さん(57)は夫の治義さん(61)、長女陽子さん(31)と参列した。陽子さんの同級生の家族三人が亡くなり、「あのとき何もしてあげられなかった」と悔やみ続けてきた。その思いが、碑の前に足を運ばせる。「来年もこの時間に来ます」。誓うように話した。

2005/1/17
 

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