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(5)表通り 今も人が戻って来ない…
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 神戸市須磨区寺田町、大池町の一、二丁目に続く通りを歩くと、仮設店舗が目立つ。たばこ、クリーニング、美容、酒、喫茶。以前は二十あまりの店があったが、今は十六店ほど。二年間で数は減り、顔ぶれも変わった。

 「人が戻って来ない」「売り上げは半分以下になった」

 営業を始めた店主からは、一様にそんな嘆きが聞こえてくる。

 千歳地区には大きな市場、商店街などはない。点在する商店が、暮らしを身近から支えた。

 大松博之さん(31)は地震の年の六月、美容院の再開にこぎつけた。入居していた四階建てのビルが焼け、新たに権利金を払って今の土地を借りた。自ら、仮設店舗を建てた。

 「せなあかん、しかなかった。客はそのうち戻って来るという感覚だった」

 しかし、以前の三分の一しか戻っていない。しかも、頭打ちという。

 震災の三カ月後、ケミカルの副業に焼き肉店を開いた店主(56)も「最初の一年間は寝泊まりしていた解体業者らで繁盛したが、今も人が戻ってくる様子はない」と、ため息をもらす。

 ある酒店は震災前年の一九九四年末、約五百部のカレンダーを配った。九五年は久しぶりに来店した住民に配っても、約二百部に半減。かなり新規開拓をした九六年は四百部を用意して、百部が残った。

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 交差点の一角にある更地。ここで写真店を経営していた伊藤忠さん(53)は、少し離れた神戸市須磨区千歳町三丁目のビル内の事務所にいた。

 刷り上がったばかりの名刺には「SECURITY」の文字。写真に見切りを付け、結婚式を中心にしたビデオ撮影サービスに加え、建設現場などの警備を事業の柱にする。

 「知人の手伝いで測量の仕事をしたとき、他府県から警備の人がたくさん来てた。よそのもんにかき回されてたまるか、とね」

 小学生からの夢が忘れられず、会社を辞めて写真店を持ったのが一九七〇年。その店が、焼けた。近年は写真の仕事は減っていた。「震災があって、吹っ切れた」と振り返った。

 ラーメンのチェーン店を営んでいた貞方孝之さん(43)は、借りていた店舗を失った。区画整理がかかっているため店ができるほどの建物は建たず、開店資金の支払いも残っていた。

 「将来、もう一度店を持ちたい」と願いながら、毎夜、チェーン直営店の勤務ダイヤに入る。

 震災前、表通りにあったうちの二十一店を訪ねると、六店が休・廃業し、二店が業種を変えていた。地区内の同じ場所で再開したのはほぼ半数にとどまる。

 あれから二年。岡本美治さん(54)の喫茶店も、常連客は以前の十分の一になった。ただ、震災直後の二月、無料で開いた青空喫茶でコーヒーを飲んだ人が時折、訪ねてくれる。

 人通りは減ったが、岡本さんには、その再会がうれしい。

1997/1/19
 

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