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ステンレス板に再生された「春の唄」の歌碑。震災で高層ビルが建った地域の昔をしのばせる=西宮市北口町
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ステンレス板に再生された「春の唄」の歌碑。震災で高層ビルが建った地域の昔をしのばせる=西宮市北口町

 1937(昭和12)年に大ヒットした国民歌謡「春の唄」の歌詞と楽譜を刻み、ゆかりの地である兵庫県西宮市北口町の再開発ビル「アクタ西宮」に据え付けられている歌碑が、新しくなった。阪神・淡路大震災で大きく変わった街の面影を伝えようと、22年前に設置。古くなり銅板の歌詞が読みにくくなったため、ステンレス板で再生させた。(山岸洋介)

 「春の唄」は、ともに西宮在住だった喜志邦三(きしくにぞう)(1898~1983年)が作詞、内田元(はじめ)(1903~47年)が作曲した。阪急西宮北口駅付近に当時あった市場の情景がモチーフで、のどかな歌詞と親しみやすいメロディーがラジオ放送を通じて全国的に流行した。

 「にしきた」と呼ばれる同駅の周辺は、現在は「住みたい街」として人気の住宅地だが、震災前は駅の北東側に約220店がひしめき、商業地としてにぎわっていた。だが震災で大半が全半壊し、再開発事業で高層のアクタ西宮が建てられた。

 歌碑は縦1メートル、横1・2メートル。昔の雰囲気をしのべるよう、西宮ロータリークラブ(RC)が2001年にアクタ西宮の円形デッキに設置し、市に寄贈した。

 4番まである歌詞のうち1、2番が刻まれ、文字は喜志の自筆を転写している。経年による変色で銅板の歌詞が読みづらくなったため、西宮RCが同じデザインのステンレス板をかぶせて改修。今年1月5日に除幕した。

 除幕後、西宮RCには市民から「歌詞が読みやすくなり、とてもうれしい」と礼状が届いたといい、湯浅悦治会長(70)は「歌碑が市民の心の支えになってきたことを、あらためて感じた」。22年前の歌碑設置に尽力した元会長の太田博さん(82)は「にぎわっていた震災前の風景と震災の記憶を次の世代につないでいく象徴として、今後も親しまれてほしい」と話した。

【国民歌謡】 1936年6月に始まったNHKラジオ「国民歌謡」で放送された歌の総称。退廃的な歌謡曲が流行していた時代に、誰もが愛唱できる「明るく健全な歌」として、NHKの依頼で制作された。多くの名曲やヒット曲を生んだが、わずか1年後に日中戦争が始まると戦意高揚や国民動員を図る国策的な色合いが強まった。

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