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半世紀以上前に製造販売していたカプセル住宅「フローラ」。現在は従業員の休憩場所として使われている=利昌工業尼崎工場
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半世紀以上前に製造販売していたカプセル住宅「フローラ」。現在は従業員の休憩場所として使われている=利昌工業尼崎工場
販売当時の接合タイプの「フローラ」=利昌工業尼崎工場
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販売当時の接合タイプの「フローラ」=利昌工業尼崎工場
イスとテーブルが置かれた内部=利昌工業尼崎工場
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イスとテーブルが置かれた内部=利昌工業尼崎工場
2022年に解体された「中銀カプセルタワービル」=東京・銀座
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2022年に解体された「中銀カプセルタワービル」=東京・銀座

 巨大ドングリか、UFOか-。1970(昭和45)年の大阪万博で、名建築家の黒川紀章氏(1934~2007年)が発表し、未来型都市住宅として注目された「カプセル住宅」が半世紀以上を経て、若者らの間で人気を博している。四角形や丸形のフォルムが「近未来的」と再評価され、交流サイト(SNS)上で写真が拡散されて話題を集める。その起源は、兵庫・尼崎にもあった。

 「ジブリっぽい」「ドラゴンボールに出てくるホイポイカプセル?」「レトロフューチャー感たっぷり」「接続パーツでつなげた珍しい物件」…。

 それらは全国に残るカプセル住宅を偶然見つけたり、確認に赴いたりして面白がるツイッターやインスタグラムでの投稿だ。見た目のユニークさと珍しさからSNSを通じて発見場所を教え合ったりしている。

 そもそものコンセプトはベッドや台所を備えた箱形の居住空間で、単体のカプセルを重ね合わせたり、接続パーツで連結したりして増床できるのが特徴だ。

 その多くを手がけたのが、電子材料メーカー「利昌工業」(本社・大阪市)だった。担当者は「わが社以外に製造した企業があるかは分からない」とするが、SNS上の投稿写真はほぼ全て同社製とみられる。

 同社は雪の「かまくら」をイメージしたカプセル住宅「フローラ」を万博から2年後の72年から約10年間にわたって造り、尼崎工場(尼崎市南塚口町4)には当時の記念碑ともいえる1棟が保存されている。

 直径最大4・6メートル、高さ3・4メートル、広さ9・9平方メートル。特殊なプラスチック製(厚さ5ミリ)の曲面パネルを4枚組み合わせるだけで完成し、用途はスキーロッジや別荘、海の家、飲食店を想定していた。価格は本体のみで86万円、ベッドやトイレなどオプション付きは123万円で販売され、複数のカプセルを連結できるタイプも。当時のレジャーブームが後押しして500棟以上が売れたという。

 72年には黒川氏が設計したカプセル型分譲マンション「中銀カプセルタワービル」(東京)が世界で初めて実用化され、一世を風靡(ふうび)した。しかしブームは過ぎ、折しも2025年に開催予定の大阪・関西万博を前に、SNSの発達も相まって再び注目されている。

 全国にどれくらい残っているかは分からないが、少なくともあるのは尼崎の他にも神戸市や滋賀県栗東市、津市、長野県軽井沢町…。同社では、「フローラ」の修理・メンテナンスはもう受け付けていないが、担当者は「今も使ってくれている人がいる。長い年月が過ぎても、若者らに興味を持ってもらうのはうれしい」と話す。

■140戸の集合住宅、昨年解体 東京

 日本が高度経済成長期だった頃の1960年代、建築家黒川紀章氏は新たな住空間の概念を提唱し、人口増など都市の成長に対応する建築「カプセル住宅」をアピールした。

 「建築の新陳代謝」を意味する理論「メタボリズム」をテーマに、取り換えや増築ができる建物として、高さ2.5メートルの四角いカプセル(部屋)を一つ一つ組み合わせた140戸の集合住宅「中銀カプセルタワービル」を設計。72年に世界で初めて東京都中央区銀座で実用化され、新しいライフスタイルを示した。

 79年には、大阪市内に世界初のカプセルホテルが誕生。ニュージャパン観光の依頼を受けた黒川氏が「カプセル・イン大阪」を設計した。カプセル建築が評価され、カプセルホテルが全国に普及するきっかけになった。

 しかし「中銀カプセルタワービル」はその後、11階、13階建ての建物2棟がいずれも老朽化し、カプセルユニットは1度も交換されることなく、2022年に解体された。

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