兵庫県尼崎市内にある各駅を起点に記者が街を歩き、人々との触れ合いや見どころを紹介します。
※主に週末に掲載します。(2016年1月の連載を一部加工しています=年齢、肩書は当時)
■JR尼崎 ダウンタウンも過ごした街 変わる街並み 下町風情
JR尼崎駅周辺は、この20年ほどで大変貌を遂げた。
駅北の工場跡地が再開発され、高層住宅や商業ビル、新しい病院に大学が出現。東西線開業(1997年)とともに新快速、快速電車の停車駅となり、乗降客は開業前の約1・8倍に増加。周囲の工場と専用線で結ばれた“産業用駅”が都心の駅になった。
かつて潮江で一番にぎわい、大正初期以来の伝統がある駅北の潮江本町商店街一帯は、高層マンションが立ち並ぶ「アミング潮江」と一体化したショッピングモールとなり、低層部で営業する。
同所でホルモン専門精肉店「杉山ホルモン店」を、2代60年以上にわたり営む徐根植(ソグンシッ)さんは話す。
「街が変わり人も入れ替わった。昔を知っているから、寂しくなった気はするね。うちのホルモンは工場で働く人がよく買いにきた。『精付けて働かな』いうてね」。冷蔵ケースのハラミ、ツラミ、ショウチョウなどが往時の活気を物語る。
「工場の街で活気があったね。今は子どもが少なくなったけど」と米穀店を営む濱尚(ひさし)さん。「でもここ一帯を少し離れたら昔のまんま。人情味のある下町。チロリン村いうてるんですよ」
お笑いコンビ「ダウンタウン」の2人が少年時代を過ごした街でもある。「このあたりの人は、だいたいああいったノリやねえ」。眼鏡店の一坂清二さんも笑う。
□
駅南でも工場が減りマンションが増えた。母の厚江さんと中華料理店「東来軒」を切り盛りする醍醐敏一さんは言う。「人情は変わりましたねえ。尼崎の人はしゃべりたがりやから、お客さんと話が弾んだもんやけどねえ」
和食も修業した父の故健一さんが1969年に開店。健一さんの信条は「塩味ベースのあっさり味」。「濃い味付けはお客さんが来たくなくなる」とよく話していた。「父がつくった味、僕は守り続けているんですよ」と敏一さんが胸を張る。
東来軒の入るビルの隣には、「津軽三味線ライブハウス和楽」がある。主人の竹田傑(すぐる)さんはかつて青森県の本場で修業し、全国大会を2度制した腕前。
「お客さんとの真剣勝負をしたい」との思いから、客席とステージは同じ高さにしてある。妻の笑三子(えみこ)さんは津軽民謡のうたい手。お弟子さんも交じり、夜ごと下町に情のこもった音色が響く。
◆ ◆
1874(明治7)年に神崎停車場として開業。1949(昭和24)年に尼崎駅に改称。駅南は戦前~戦後にかけて区画整理された。駅北のアミング潮江は94~99年にかけてオープン
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