沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)の桃原一彦教授(53)=都市社会学=が、兵庫県尼崎市や宝塚市に住む沖縄出身者らの生活史を調べている。沖縄の学生らがインタビューし、沖縄戦での体験や古里を離れて移り住んだいきさつ、県外での暮らしぶりに迫る。「コミュニティーの形成を知り、兵庫と沖縄の深い結びつきを研究したい」と話す。(久保田麻依子)
桃原教授は学生時代から、地方の出身者が集まって親交を深める「郷友会」の形成過程に着目していた。
東洋大大学院(東京)時代は、川崎、横浜市に集中する沖縄コミュニティーを研究する傍ら、東京沖縄県人会の青年部事務局長を務めた。任期中の1995年には沖縄で米軍兵による少女暴行事件が起き、渋谷駅前で基地の現状や課題を訴えるビラを配るなどした。
97年に沖縄へ帰り、2003年に沖縄国際大に着任。地域福祉を専門に教えつつ、郷友会や県人会には移住者間に相互扶助の役割があり、広い意味で福祉の領域と捉えるようになった。特に阪神間にはルーツを持つ人が多く暮らすことに注目した。
ゼミ生らは16~19年に毎年1回、宝塚市高松町や尼崎市に多い出身者やその子どもらにインタビューし、30~90代の計35人に幼い頃のエピソードや戦争体験、沖縄への思いなどを聞いた。
宝塚や尼崎には集団就職や出稼ぎのために知人を頼って移住した人が多く、本土復帰前は米統治下だったことから「英語を話せるんでしょ」と誤解されたというエピソードも目立つ。
学生たちは沖縄戦で肉親を失ったり、本土との言葉や文化の違いに苦労したりした話にも耳を傾けた。沖縄とのつながりでは「琉球舞踊や三線を習っている」「県人会に参加して、普段から交流がある」などと答えた人が多く、離郷後も沖縄独特の行事「シーミー(清明祭)」や「トゥシビー(生年祝い)」を続けている家庭もあるという。
新型コロナウイルス禍で20~21年は聞き取りを中断したが、早ければ本年度から再開する予定だ。
桃原教授は「お孫さんに語るように接していただいた。沖縄を離れたからこそ古里への思いが強い人が多い」とし、「若い学生は、沖縄の差別や抑圧の歴史を知る機会に乏しい。なぜ本土や海外に移住する人が多かったのかを移住者の暮らしぶりから学びたい」と語った。
【沖縄と阪神間のつながり】沖縄出身者は昭和恐慌初期の1930(昭和5)年ごろから、工業都市として栄えた大阪や尼崎に職を求めて移住した。その後は縁故や知人を頼って移住者が増加し、尼崎市の長州、園田、神崎地区や宝塚市高松町に集中している。当時は工員のほか、養鶏や養豚を営む家庭や、「素灰(練炭の材料)焼き」を作って生計を立てていたとされる。

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