忙しかった母の思いが、しみじみ分かるようになってきた。阪神・淡路大震災で兵庫県西宮市の実家が全壊し、母の小林弘子さん=当時(42)=を失った介護士の松本奈保子さん(38)=たつの市。「私はほったらかしやん」という少女時代の反発は震災で喪失感に変わり、やがて感謝の気持ちになった。あの日から27年を迎えた17日、西宮震災記念碑公園で花を手向け、静かに手を合わせた。
早朝の奉仕活動に精を出していた弘子さん。あの日も西宮市霞町の会館に出掛けるため、まだ暗い午前3時ごろ自宅を出た。5時46分の烈震。会館が崩れ、下敷きになった。助け出されたのは翌日だった。
松本さんは当時11歳の小学5年生。3人きょうだいの末っ子で、甘えん坊だった。明るく、よく笑う母とは「友達のような関係」だった。一方、地域の活動で忙しい母に「ほったらかしにされている」とも感じ、寂しさから反発も抱いていた。
昨日まで話をしていた母を、いきなり震災で奪われた喪失感。だが兄や姉が気丈に振る舞う姿を見て「つらいことは忘れなきゃいけない」と必死に悲しみを抑え込んできた。
20代で結婚し、3人の子どもを産んだ。母親になり、我が子をしかることもしばしば。そんな時、ふと「お母さんなら、どんなアドバイスをくれるだろう」と考えてしまう。
チキンカツ、炊き込みご飯、リンゴケーキ…。料理が上手だった弘子さんは、和食も洋食もスイーツも、いつだっておいしく作ってくれた。「母がどれだけすごかったか、気付かされる日々」という。
だんだん母の年齢に近づいてきた。8、10、12歳の子育てや家事、そして仕事をこなし、疲れてうたた寝することも多い。「そういえば母も、よくうたた寝していたなぁ」。11年という短い間だったが、多忙な中で精いっぱいの愛情を注いでくれていたのだと、今は強く思う。
自宅の部屋には、母の写真を飾っている。孫の顔を見てほしかった。もっともっと一緒に話をしたかった。
母の名を刻んだ碑に、そっと手を合わせて伝えた。「元気にやっているよ。見守っていてね」
(浮田志保)
【特集ページ】阪神・淡路大震災

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