8月25日、夏休み終了まであと3日。
今年も相変わらず、子どもたちの宿題に追われています……
夏休みの宿題。小学校はこの数年で、激減しました。
1年生次男の宿題は、
・国語のプリント
・算数の確かめテスト
・絵日記2回分
・学校から持ち帰ったアサガオの観察2枚(毎日、咲いた花の数を数える)
・音読と計算カード
以前はここに、「夏休み帳」「1学期の計算&漢字ドリルのやり直し」「読書感想文」「自由研究」などもあったので、めっちゃくちゃありがたい。
特に「親力」が試される、自由研究。毎度こちらにもプレッシャーがかかり、「お手伝い」のはずが気づけば親の作品になり、子も親も自由を奪われる、自由研究。昨年から任意になったと聞き、感動の嵐でした。
ほとんどの宿題は7月中に終了したものの、大問題がひとつ発生。
まさかの、アサガオがひとっっつも咲かないのです…!
肥料をやったり、水やりの頻度を増やしたり減らしたり、ツルや葉を剪定したり、違う肥料をやったり、昼はなるべく明るいところに置き、夜は極力暗い場所に移し… ネットで検索してはあの手この手で世話を焼いても、意地でも咲かない次男のアサガオ。
「かまいすぎてるからだめなんじゃない?」と先輩ママに呆れられながら、「アサガオ系」の宿題が真っ白なことに、焦りが募ります…
「1輪も咲きませんでした。ほんとうなんです!」で、持って行くしかない(泣)。
わたしの地元・仙台に帰省して仙台七夕まつりを見物し、日本三景の松島にも行き、科学館や甲子園球場での高校野球観戦も楽しみました。何だかんだあったはずが、日記に何書く?と次男に聞くと、「ボウリングをしたこと」。
ねえ!ボウリングはいつでもどこでもできるからさ、松島行ったとか七夕見たとかにしなよ!!??
必死に誘導しようとする母(わたし)、馬耳東風の次男…
そう言えばいま大学生の娘が小学生のころに書いた夏休みの絵日記は、「ゲーセンでUFOキャッチャーをしたこと」でした。
いやいやいや、旅行やらプールやら、いろんなところに連れて行ったよね!?!?
子どもは思い通りになどならない、自分の人生を生きるのだと、宿題を通して親も学びます。
中学の宿題もやや減ったものの、各教科から出されるため、依然として超大量。
知的障害のある長男は、ドリルやセミの観察など、内容や量をアレンジした課題に取り組みます。
最近になって、社会科は「SDGsに関して何か取り組みをおこなったリポート」というスーパーハードな宿題が出ていると気づきました。
SDGs…。なにやら17の目標がある(らしいけど、よくわからない)アレです。
わたしが特に関心を寄せるのは、4の「質の高い教育をみんなに」と、5の「ジェンダー平等を実現しよう」。しかし、「母親の趣味ですよね?」が先生に一瞬でバレる上、「何か取り組みを」と言われても難しい。
というわけで、6の「安全な水とトイレを世界中に」を選び、先週あわてて、大阪市の水道記念館へ見学に行きました。その感想を書けば、この課題は終了です…!(今のところ、まだ真っ白)
…と、ここまでは「子どもたちの宿題に苦しめられる母親」目線で書きましたが、
何を隠そうわたし自身、「宿題は夏休み最後の日に泣きながら(母親にひたすら怒られながら)やる」タイプでした。
天気の記録をひとつもつけておらず、「晴れ、くもり、雨」の順に一気に書き込んだり
問題集1冊丸ごと、答えを書き写したり
小学校の教師で中高の理科の免許も持つ母に言われるがまま、自由研究の作品をつくったり(で、それが毎度のように市の理科作品展に選ばれるという…)
とにかく始業式に耳をそろえて持って行くため、一心不乱に手を動かしたあの日。
それまでの34日間、わたしはいったい、何をしていたのか。
ひとり親で母は毎日仕事があったため、旅行やレジャーに行くことはほぼなかったものの、
ラジオ体操に学校のプール開放、花火に再放送のアニメ鑑賞。子どもながらに忙しく、暑くて、自由で、楽しかった日々が思い出されます。
現代でも「業者やAIの宿題代行」が連日報道されており、海外では多くの国で、宿題がないとか。そう考えると、子どもたちにとって夏休みの宿題とは、心の重しで、長期休みにしかできない体験をはばみ、業者がもうかるだけで学びにはならない、親子ゲンカのネタでしかないのではないか-
来年からは終業式に、「元気に過ごすことだけが宿題!」と言ってもらえますように。
そんな現実逃避をしながら、親になっても半泣きで宿題に追われています。
▽萩原 真(はぎわら まこと)
【降っても晴れても すきっぷびより】は、すきっぷスタッフで元記者の萩原が、3人育児のドタバタや障害のある息子との生活で感じたこと、うれしいことから尽きない悩みまで本音満載でお届けします。