壊れた橋脚の一部をアップした写真。被告・阪神高速道路公団がようやく提出した新証拠だ。これが出るまでに提訴から四年以上もかかった。
「倒れないはずの高速道路がなぜ倒れたのか」
あらためて問うのは予想以上に難しかった。道路の早期復旧のため、橋脚などはわずか十日間で撤去された。
公団は「被災直後の調査は建設省(当時)がしたので、公団として新たに出せる証拠はない」と主張。次のようなやり取りが延々と続いた。
原告「コンクリート片などの証拠を出してほしい」
被告「ないでしょう。探してみますが」
崩壊したコンクリート片や鉄筋、現場の写真など、直接的な証拠物件が真相究明には不可欠。が、公団は、旧建設省がまとめた倒壊の調査報告書を証拠とし、新たな証拠提出を求めても「廃棄した」と答えていた。
写真提出は、報告書の橋脚倒壊のメカニズムを、原告側が否定した直後だった。
原告が切り札の証人として立てた鉄筋コンクリート構造学の富永恵・ノースウェスタン大客員研究員は橋脚が二カ所で崩壊した点を問題にした。
富永さんは鉛筆の端を握って説明する。「一本足の橋脚は一カ所で破壊が始まると、そこに力が集中して折れる。一度折れた鉛筆に新たに力が加わってもさらに折れることがないのは、構造学の最初の授業で習うこと」
報告書は、地震で橋脚上部が崩落、その上の橋げたが落ちて橋脚に残る中間部を飛ばした・と二段階破壊説を採った。
富永さんは「鉄筋が入っていれば橋げた程度の重さで飛ばされるはずがない」と否定。二カ所の破壊の要因として「コンクリートがぼろぼろだった」「鉄筋のつなぎ目で、他の部位より強いガス圧接部での破断」など、施工上の問題の可能性を指摘する。
公団は鉄筋がガス圧接部で切れていないことの証明のため写真を提出した。壊れた橋脚の鉄筋が写ってはいるが、原告は「調査報告書の写真を拡大しただけで、あくまでも現場の一場面。最初に壊れたとしている部分ではない」とする。
倒壊原因をめぐる争いは五年八カ月余りにわたった。しかし、現場の状況を直接的に示す“新証拠”として出たのはこの数枚の写真だけだ。
2002/10/3