「阪神・淡路大震災で、被害の実態究明を徹底することなく、倒壊した阪神高速の橋脚がすぐに撤去された」
昨年十月、熊本市で開かれた土木学会全国大会。討論会で本間義人・法政大教授(都市・地域政策)は刺激的な問題提起をした。
「なぜ学会はそれを見過ごしたのか。証拠隠滅に加担したかもしれないのに」
学会誌のホームページには「一理ある」「共感を得た」「憶測だ」「不適切」など賛否両論があふれた。本間教授は「『学会でも調べている』と反論があったが、倒壊したときに十分調べていない。今後の安全確保のため、原因究明、責任追及を第一に考えるべきだった」と指摘する。
倒壊の調査報告書をつくったのは、旧建設省が設けた委員会。委員には土木学界で著名な学者に加え、元建設省土木研究所長、本四公団理事らが名前を連ねていた。
委員だった学者は「証拠隠滅など絶対にない。道路の一日も早い復旧を・というのが土木関係者らの願いだった」と語気を強める。
原告側証人の富永恵・ノースウェスタン大客員研究員は、裁判で「委員会メンバーは、阪神高速道路公団とどこかでつながりのある人がほとんど。科学的究明は第三者機関が必要」と批判した。報告書の内容に疑問を持ち、「専門家がここぞというときに行動するのが、社会に対する責任」と証言に立ったという。
しかし、大きな組織を相手に証言する学者はほとんどいなかった。弁護士は「協力者を探すのが難しかった」と打ち明ける。
震災前、公団はPR誌で阪神高速について「大地震でも大丈夫」とうたっていた。なぜ、それが倒れたのか。
「心の整理がつく説明がほしかった。(提訴は)『なぜ』という義憤だった」と原告の萬みち子さん(79)は振り返る。
「人生に一度くらい、損得を度外視して怒れる人に」と、亡くなった長男英治さん=当時(51)=を育てたという。「真理は一つのはず」と裁判を闘ってきたが、さまざまな厚い壁を感じた五年八カ月余りでもあった。
地震は必ず起きる。「同じ被害は繰り返してはならない」と思う。しかし、裁判が結審しても「なぜ」の疑問は膨らんだままだ。
(畑野士朗、国森康弘、西広行)
=おわり=
2002/10/4