神戸市長田区にある被差別部落の河川沿い。震災で全半壊しながら応急修理しただけの木造長屋が、二年半を過ぎた今も軒を並べる。八月初め、地元の調査依頼を受けたまちづくりコンサルタントと自治会役員の三人が路地を訪ね歩いた。
屋根にシートを張り、軒を何本もの鉄棒で支えただけの倒れそうな家。「このまま住み続けますか。家のことで何か要望はありませんか」。コンサルタントは建物内外を検査し、住民の思いを聞いて回った。
調査対象の老朽家屋三十三軒の中に、年金暮らしのAさん(61)夫婦が借りる築八十年を超す長屋があった。四畳半、二畳が二間、それに一畳半の台所がつく平屋だ。
かわらの一部はずり落ち、家は南に傾いたまま。柱には添え木をあて、亀裂の入った壁にはガムテープを張ってある。台風が来ると今も、屋根土がパラパラと天井や押し入れに落下する。判定は「一部損壊」。「ばかにしている」。憤りがAさんの口調を早くする。
生まれた時から暮らす長屋だが、何度も出ようと思った。しかし市営住宅には当たらず、マンションに住む余裕はなかった。川のはんらんで浸水したり、湿気で畳を替えることもたびたび。雨漏りで、屋根には震災前からシートを張っていた。それでも、家賃が格安だったため、家主は修繕しようとしなかった。
そして震災。建物が残っていたため、仮設住宅には入らなかった。災害公営住宅の申し込み資格もない。「自分で修繕してきたが、いらえばいらうほど家が傷む。もうあかん。市営住宅の空き家にでも、入れてもらえんやろか」と訴える。
同和地区の住環境を改善するため、神戸市は一九六九年から本格的に、一定の基準に照らし、かつ住民の意向を聞いて「改良地区」を指定。土地を買収して「改良住宅」を建て、従前居住者に安い家賃で供給してきた。
一方、基準に満たなかったり、適用を断った区域の老朽家屋対策として、市は新築、改修資金の貸付制度を設けた。Aさんの家を含むこうした区域が、この被差別部落では約六割を占める。しかし制度の利用率は低く、震災時、新築貸し付けの利用は対象世帯の一割に遠く満たず、改修資金も四割強にとどまっていた。「年金暮らしの高齢者などはあきらめるしかなかった」と住民はいう。
そして、被害は、この区域に集中する。死者は同地区四十二人のうち三十九人を占め、全、半壊戸数は約千戸。その発生率は、全市平均の二倍を超えた。
震災後、同市は同和地区向けの特別貸付制度などを設け、改良地区以外の住民の自立再建への支援を打ち出している。
しかし、高齢化や土地の権利関係の複雑さ、収入の不安定さなどが再建を阻み、今も更地があちこちに残る。狭小宅地の多さも壁になっている。
コンサルタントの調査結果は近くまとめられ、地元のまちづくり協議会が市に要望書を出す。
「被災したままの家屋で暮らす人たちの救済を」と、住民の生の声を盛り込んで。
1997/9/9