怒声が飛んだ。
震災の年の春、神戸市長田区の被差別部落近く。半壊した市営住宅の補修説明会で、声は説明する市職員に向けられた。
「改良住宅は、家賃も安いし、市が何でもやってくれるらしい。この市住も何とかしてくれ」
「私ら部落の者でないのに、近くにいるだけで部落やと思われとった。損ばかりしてきたんや」
林立する改良住宅への周囲のやっかみが、一気に噴き出したのだった。
同地区出身のA子さん(39)も、市住入居者の一人として出席していた。
「私の生まれた地区は、周りからこんなふうに見られていたのか」
外の目を、あらためて痛感したという。
A子さんは十九歳まで、雨漏りのする三畳一間の平屋に親子三人で暮らしてきた。「何とかして」。叫びにも似た声を上げた結果、建ったのが改良住宅。「そんなに言うなら、一度私たちが暮らしてきた家に住んでみてよって言いたい」
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まず劣悪な居住環境の改善をと、住民が要求し、国策として建設されたのが改良住宅だった。しかし長年の間に、名義人とは別の人が住むという混乱が広がっていた。震災が、その実態をいや応なくあらわにした。
改良住宅の土地を買収する際、市は、借家人を含め、結婚などによる所帯分離を認めた。結果として、複数の部屋を持つ家庭が現れる。
B子さん(41)が十年前にまた借りした部屋の名義人もそうだった。B子さんは離婚後、娘二人を連れて同住宅を借りた。いわゆる”不正入居”だった。「生活保護の身。敷金がいるような部屋にはよう住まんかった」
その住宅は全壊し、今は市内の仮設暮らし。住家のり災証明をどちらが取るかで、名義人とけんかになった。結局、り災証明は手にしたが、再建中の改良住宅への入居申し込みは、名義の問題でまたもめる恐れがあり、取りやめた。
「本当は部落に戻りたいけど、長田か兵庫の市営住宅に申し込む」
逆に、A子さんの父親は部屋の入居権を売った側だ。商売に失敗して倒産し、借金返済の足しにした。その後、住んでいたアパートは全壊。仮設住宅で一人暮らしを続け、地区に戻りたいと願っている。しかし、名義のある改良住宅が半壊で残ったため、問題が起きた。
「住宅はある、と解釈される。市営住宅の申し込み資格はない」。そう市に通告されたのだ。
A子さんは「確かに売った父は悪い」としたうえで言う。「父は取引先に迷惑をかけると『これやから部落の人間は』と言われるのが嫌で、必死でお金をつくろうとしたんです」。背景に、差別への強い反発があったと訴える。
神戸市によると、同地区で全壊した改良住宅は六棟五百五戸。再建中が五百三十一戸。正規の資格で再入居を決めたのは、五、六割にすぎなかったという。
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今年一月、同地区に計画された最後の改良住宅が着工した。「長期計画の事業はほぼ終わった」と行政。しかし、外には根強いやっかみの目、内にはなお残る不安定さ。差別解消はまだ、達成し切れないでいる。
1997/9/10