更地のなかで、花で飾られた真新しい玄関はひと際目立った。復興土地区画整理事業が予定される芦屋西部地区。家人はしかし、表情がさえない。震災前に購入した一戸建ては全壊。避難先で一年半は我慢したが、これ以上は無理と昨秋、跡地に二階建てを着工した。換地指定前の”見切り発車”だった。「また壊さなければならないかも…。なぜ区画整理が必要なのか」
津知公園一帯の同地区には、約千五百世帯が生活していた。全半壊が七六%の大被害。地震の二カ月後、区画整理が導入された。
震災に伴う主な面的整備事業は十七地区。うち、同地区と神戸市東灘区の森南など三地区で、事業計画が決まっていない。いずれも事業手法、とりわけ一定の率で土地を削られる減歩に、住民の反発が強い。
区画整理の対象にならなければ、しかし、別の問題が生じる。
神戸市兵庫区会下山町。道路に面した家は再建されているが、路地を入ると更地が広がる。幅二メートルもない私道、その奥の袋小路。今の建築基準法では、家が建てられない土地が出る。
いわゆる”白地地域”が抱える問題である。
「再建できなくなる人を救う」と、兵庫県は区画整理の狙いを語る。
対象になれば、道路、公園などの基盤整備費や換地に伴う建物補償費などが、公費で賄える。「一ヘクタールにつき十億円」とは、一般に、対象地区に投入されるといわれる公的資金の額だ。
しかし、減歩がある、換地もある。事業の地価引き上げ効果が大きく見込めた時代ならともかく、被災地の実情に合った手法は他にないのか。
「面的に被災した住宅密集地に、全員が納得できる形で戸建てを再建しようとすれば、今のところない」。行政側の一致した見解はこうだった。選択肢がない、というのだ。
だが、より柔軟なまちづくりはできないのか。
芦屋西部地区で昨秋、近畿大教授・小島孜らが、区画整理を受け入れた住民側の修正素案を作成した。再建を急ぐ商店主や借地人たちの立場を考えた末だった。
その案にも芦屋市は「事業費を考えていない」と批判的だ。「幅五メートルの道をどうして六メートルにできないのか。それで国の補助金が出るのに」。震災でその基準は、十二メートルから大きく緩和されている。しかし、自治体が求める分権は実現していない。今はまだ、縛られている自治体の姿が、そこにある。
建設省の区画整理課長補佐から兵庫県計画課長になった清水喜代志は、霞が関時代を振り返って言う。
「自治体の図面には何度も感心しましたよ。公園面積はきっちり規則通りの三%。駅前の植栽なども面積に入れたらいいと思うのに、それをしていない」「ひと昔前と違い今は建設省もフレキシブル。むしろ自治体が、基準にとらわれ過ぎてはいないか」
近畿大の小島も話す。
「市と住民が一体になって働きかければ、区画整理でも、もっと主体的なまちづくりができるはず」
分権、規制緩和、そして自治体・住民の連携と地元の力量アップ。復興まちづくりはどうやら、両面の課題を際立たせつつあるように見える。さながら合わせ鏡のように。(敬称略)
(河崎 光良)
1997/2/26